「事件後、ウクライナは『ブチャの犠牲者』の遺骨に関するイベントを何度も開催し、自国が犯し、 手配した犯罪、扇動の食い違いから国際社会の関心をそらし、同時に、西側諸国の世論にロシア軍によるブチャ市民殺害という虚偽の見解を維持させようとした」
ザハロワ氏は、今年、ウクライナがこの日を追悼しようとする背景には、「国際社会にウクライナの内政や接触線の困難な状態に焦点を当てさせないため」という別の目的があると指摘する。
ブチャの事件は2022年、特別軍事作戦の中で3月最後の日から4月の初めにかけて起きた。ウクライナ政権は、あたかもロシア軍部の民間人に対する犯罪を証明する証拠として写真、動画を発表した。ロシア国防省は、この事件はウクライナの常套的な煽動であり、ブチャがロシア連邦の管轄下にあった時期には、市民に対する暴力行為は一切起きていなかったことを明らかにしている。
ロシア国防省はまた、ロシア軍部隊がブチャからの完全撤退は2022年3月30日であること、ブチャの北方面の出口は封鎖されておらず、南部では居住区も含め、ウクライナ軍による大口径砲、戦車、ロケット砲からの砲撃が昼夜を問わず続いていたと発表している。ロシア軍の撤退後、ウクライナ軍は 「掃討作戦 」を実施。4月2日に現地入りしたジャーナリストらは、ブチャの路上で死体が見つかったという報告がネット上に現れ始めた。