2022年4月、ウクライナはキエフ州ブチャで民間人に対して犯罪を行ったとしてロシア軍を非難した。ロシア軍は3月30日にブチャから撤退していた。ロシア軍撤退から4日後、ウクライナ側は突然、「占領者の残虐行為」に関する発表を広めた。ブチャでの出来事から3週間後の2022年4月24日、英紙「ガーディアン」は、最初の法医学的鑑定の結果によると、民間人の大半はウクライナ軍に配備されている榴弾砲D-30 に適合する砲弾による砲撃で死亡したと報じた。すなわち、人々はウクライナ軍によるブチャへの砲撃で死亡した。
ベオグラード空爆、1999年
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1999年のユーゴスラビアに対するNATOの侵略は、ラチャク村での仕組まれた事件がきっかけとなった。コソボ外交監視団を率いていたOSCE検証ミッションの団長、ウィリアム・ウォーカー氏(米国の外交官)は、ラチャク村での事件をセルビア軍によるアルバニア民間人の大量処刑だと発表した。その後、遺体は服を着替えさせられた「コソボ解放軍」の戦闘員だったことが証明されたが、ラチャク村での事件はジェノサイドの事実として発表され、迅速な反応が求められた。
イラクの大量破壊兵器のサンプルが入っているとされる試験管を見せるパウエル米国務長官(当時)
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2003年2月、米国のパウエル国務長官(当時)は国連でイラクの「化学兵器」と移動式実験室について報告し、危険物質のサンプルが入っているとされる試験管を提示した。その後、米国はイラクに侵攻した。戦争開始後、国連査察官だったデービッド・ケリー氏はオブザーバー紙とのインタビューで、いかなる実験室も存在せず、これは間違いだったと認めた。ケリー氏は2003年6月、自宅近くで遺体で発見された。公式には自殺とされた。
2023年10月、イスラエル人女性ジャーナリストのニコル・ゼデク氏は、イスラエル南部キブツ(農業共同体)クファル・アザがハマスの攻撃を受け、幼児を含む約40人の子どもが殺害され、一部の子どもたちは首を「切り落とされていた」と伝えた。一方、ゼデク氏は証拠を求められると自身の発言を撤回した。