公開された文書は、1945年7月2日までに作成されたとみられる。そこには「ウラン235なしの元素番号94番(編注:プルトニウム)を使った爆弾である」「7月10日ごろに核実験が行われる見込み」などと核実験予定の詳細が記されていた。
実際に同月16日、米原爆開発を担ったロスアラモス研究所は、ニューメキシコ州で人類初の原爆実験を行った。この際に使われたのは後に長崎に投下されたのと同じ、プルトニウム型だった。
諜報から得られたデータは、ソ連の科学者らの独自の理論や研究の内容と比較され、開発への時間短縮や不必要な資金の出費の抑制に貢献した。こうして戦後米国との冷戦構造に向かうなか、ソ連は1949年に世界で2番目の核保有国となった。