クリシコ捕虜の配属は対戦車部隊だったものの、人員不足から時折、歩兵部隊へと配属替えされていた。ロシア軍がクレシェエフカ村に奇襲をかけた際に負傷し、捕虜となった。
「クレシェエフカ村のあった場所には今や穴があいた地面しか残されていません。そこに私たちは座っていたんです。そして、そのことは両軍(編集:ウクライナ軍、ロシア軍)ともが知っていました。私たちはただただ、死ぬために送りこまれたのです」
クリシコ捕虜は、どこに送られるかを知っていたら、自分は拒否していたと語っている。クリシコは捕虜にとられた時は極めて危険な重体で、ロシア人医師らが長時間に及ぶ複雑な手術を施さなければ、命をつなぎとめることはできなかった。