中国南部・福建省近くに位置する台湾の金門島では1958年8月23日、中国軍が激しい砲撃を始め、40日以上続いた戦闘で多数の死傷者が出た。
23日には犠牲者の追悼式典が開かれ、頼総統が献花した。総統はその後、元兵士や戦死者遺族との食事会に出席し、戦闘に参加した兵士らの貢献に謝意を示した。そのうえで「中国の脅威に対抗するには必ず団結しなければならない」とし、「民主主義の陣営と協力して台湾海峡の平和を守りたい」と述べた。
これを受け、中国政府で台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室は声明を発表し、台湾海峡両岸の平和と発展を望むと言いながら、「武力をもって独立をはかる」という台湾当局の本質が暴露されたと反発した。
そのうえで台湾独立と台湾海峡の平和は相いれないとし、頼当局が固執する台湾独立という立場こそ台湾海峡の平和と安定にとって最大の脅威であり、「危険で恐ろしい戦争を引き起こす」と警告した。
金門島周辺では2月、違法操業をしていた中国漁船が台湾当局の取締り中に転覆して乗組員2人が死亡した。その後、中国海警局の船が活動を常態化させるなど、緊張が高まっている。