ラヴロフ氏は、1950年3月21日モスクワに生まれ、1972年、当時のソ連外務省付属国立モスクワ国際関係大学国際関係学部東洋科を卒業した。英語、フランス語、シンハラ語が堪能。
ラヴロフ氏が卒業後初めて赴任した国は、スリランカだった。そこで彼は、通訳、儀典長、書記官、スリランカ駐在ソ連特命全権大使補佐官を務めた。
1981年ラヴロフ氏は、米国での勤務に移り、ニューヨークの国連本部のソ連常駐代表部で働いた。その後1988年から1994年までは、モスクワの外務省本部で仕事をしたが、ソ連邦崩壊の翌年1992年、ロシア連邦外務省の次官となった。
1994年から2004年まで、ラヴロフ氏は、ロシアの国連大使を務めた。
ラヴロフ氏が外相に就任してすぐ、2004年、ロシアは10年ぶりに、国連安全保障理事会で、キプロス統合問題に関する住民投票についての問題で拒否権を発動している。
そして2011年10月、ラヴロフ外相は再び、拒否権を行使した。この時は、同年春に内戦が勃発したシリアに関する決議案をめぐるものだった。
ラヴロフ氏は、すでに3度、外相ポストに任命されている。
文学が好きで、自分で詩も書いている。
また、ボートでの急流下りが趣味で、ロシア・スラロームボート連盟の理事長でもある。
夫人はマリアさん、文学の専門家でロシア語と文学の教師。一人娘の、エカテリーナさんがいる。