セヴァストーポリ市民および黒海艦隊の船員たちにとって大祖国戦争は厳しい試練であった。セヴァストーポリはソ連の他の諸都市に先駆けて、1941年6月22日、ファシスト空軍の攻撃にあった。ルーマニアおよびブルガリアの基地を発ったファシズム・ドイツの2つの爆撃戦隊がセヴァストーポリに襲来した。その狙いは、全く新しい秘密の電磁爆弾を、水路へ、セヴァストーポリ湾への入り口のあたりへ投下し、戦隊をその基地とする場所へ釘付けにすること、そして、前線へ石油を届けることであった。タンカーのための港が必要だったのだ。
しかしこの計画は、黒海艦隊の地対空砲および艦載砲によって引き破られた。ドイツ軍のクリミア侵攻とともに、250日におよぶ都市防衛が始まった。沿海ソビエト軍と黒海艦隊は1941年12月、マンシュテイン軍第11部隊の2つの大隊を撃退した。
42年初頭、ドイツ軍がモスクワで敗戦していこう、ヒトラーはヴォルガへの出口にあたる北カフカスを攻撃の主要な標的とした。それをもって、ソビエト連邦を石油産業から切り離し、戦車から燃料を奪おうとしたのである。セヴァストーポリをものに出来なかったために、そのことは不可能となっていた。しかもドイツ軍がセヴァストーポリに釘付けにされていた半年間に、北カフカスは防備を強めていたのである。
防衛能力が使い尽くされたときにはじめて、ソビエト軍はセヴァストーポリをあとにした。1942年6月のことだった。それから2年後、1944年5月、ソビエト軍はドイツの防衛用要塞への襲撃を開始し、2日後にはセヴァストーポリをファシスト占領軍から完全に解放した。市防衛の偉業をたたえ、セヴァストーポリは「英雄都市」の称号を受けた。