中でも科学技術の発展に多大な寄与を果たしているのが学術都市トムスクである。ちょうど東シベリアと西シベリアの境目に位置する都市だ。市の創建は1604年。この年、ロシアの東の国境を護る砦が、トミ川畔に築かれた。1878年にはトムスク国立国民研究大学が創立される。ロシアがヴォルガ川より東の、いわゆるアジア・ロシアに持つ、最初の大学となった。いわばシベリアにおけるロシアの学術前線。創設当初は4学科があった。歴史・人文科、物理・数学科、法学科、医学科である。今日、トムスク国立大学は、ロシアを代表する、学術研究の拠点である。既に学科数は25を数える。中にはイノヴェーション・テクノロジー学科、高等ビジネス学院、国際経営学科など、つい最近になって出来たものもある。トムスク国立大学でどのような研究がなされているのか、その一端をご紹介しよう。
沸石で水質調査
人間の生産活動がしばしば周辺環境を汚染してしまう。トムスク大の化学者たちの発明によって、ロシアのエコロジストたちは、素早く、かつ安価に、流水・排水の高精度水質検査を実施し、重金属イオンによる汚染の有無と度合いを調べることが出来る。外国にも同様のものはあるが、トムスクの発明は、自然界に豊富に存在し、文字通り足元に眠っている、ゼオライト(沸石)という安価な鉱物を使用している点が強みである。沸石フィルターを水が通ると、金属イオンが沸石に吸着される。するとその金属の種類に応じて、沸石が発色を変える。これで、鉄その他重金属またはレアメタルの有無が分かるし、その含有量が許容範囲内であるかどうかを判定できる。この技術を使って、たとえばエコロジー団体が、排水等のモニタリングを行うことも出来るし、また、自然災害や技術災害の際に、非常事態省の担当課が状況把握を行うこともできる。また、工場等が、浄化装置等の動作の状況を確認することも出来る。何も複雑な設備を買い込む必要はない。訓練をつんだ専門家もいらない。調べたい水をインジケーター・パイプに通し、パイプに設置されたメーターを読んで、結果を評価すればよいだけである。
ミミズで生ゴミ再利用
トムスク大植物保護学科は、家庭から出る生ゴミから肥料を作る装置を開発している。必要なのはプラスチックのコンテナと、ミミズである。有機ゴミを素早く食べ、非常に旺盛に繁殖する、特別なミミズだ。まずコンテナに生ゴミを詰め込み、そこに一定量のミミズを放つ。一月半か二月あれば、もう農作に適した肥えた土が出来ている。などと言えば、先端科学技術とイノベーションの時代になんとローテクな、との声が聞こえてきそうだが、人間存在に直結した重要問題が時には単純極まる技術で解決されることもあるのである。第一に、生ゴミというのは絶えず発生するものである。第二に、このグリーン・ファブリックで拵えられた肥料は、それ自体有用なものである。さらに、ミミズが増殖することによる利益もある。動物性蛋白の不足という問題が、これで解決するかも知れぬ。ミミズの動物性蛋白は多様な用途に用いられうる。ダイエット食品にも、医療機器にも、コスメティックにも。
骨組織切断レーザー
トムスク大イノヴェーション・テクノロジー学科は世界に類例のない興味深い発明を行っている。骨組織の切断のためのレーザーである。オペ後も皮膚に焦げ痕が残らない特殊な光線だ。残るのはただ、切り痕と、厚さわずか数ミクロンの薄い膜だけである。組織を加熱する際の限界温度は摂氏45度である。100度を越えると炭化や枯死が起こる。生体に最適なレーザーの波長を探さなければならないのである。米国でも同じことが試みられ、赤外線を使ったレーザー装置が開発された。しかし、装置はサイズが大きすぎ、実際に使用するには極めて不便だった。トムスク大は、ストロンチウム蒸気を使ったレーザー装置を開発し、この問題を解決した。こちらは米国版の数倍小型で、文字通り卓上版である。インプランテーションや神経外科、癌治療などへの応用が期待される。
やわらかい太陽電池
トムスク大新素材学科はナノテクノロジーを応用して、ある装置を開発した。やわらかい太陽電池だ。酸化物(つまり酸素と他の化学元素が結合したもの)のナノ粒子を含んだ溶液を、繊維だとか、金属だとか、ポリマーだとか、ソフト・ガラスだとか、様々な柔らかい素材に、特別な方法で「焼き付ける」。それでナノ粒子がたしかに素材に固定されるようにするのである。すると、その素材の表面に、極めて薄い、コーティングが出来る。これが太陽の光を受けて、電気を生産するのである。これが「やわらかい太陽電池」である。適応先は、日常生活にも、農業にも、さらには軍隊にも見出されるだろう。何しろ場所をとらないし、折り畳んで鞄やポケットに入れることも出来るわけだ。出かける際は、携帯電話やノートパソコンの充電にも非常に便利。どころか、「やわらかい太陽電池」で服を作ることもできる。軽く、暖かい、自ら発熱する衣服。厳しい気象条件で生きる人々には福音だろう。何しろこの太陽電池の最大の売りは、曇天でも電力を生産できるという点なのだ。
トムスク国立国民研究大学の理工系学科が行っている研究の一端をご紹介したが、語り残したことは多い。実に多岐にわたる彼らの研究にひとつの共通項を見出すとしたら、それは「私たちの生活を足元から改善していく」という志向というものであろう。