核の平和利用が大惨事を迎えてしまう多くのケースがあるということは、歴史の示す通りである。
福島原発の事故がその好例だ。
大きな津波により、3つの原子炉で冷却システムが稼働しなくなり、熱がどんどん高まり、融解が始まった。結果、膨大な量の放射性物質が海に流出した。原発から200km圏内が直接的に汚染されたとされる。
しかし福島が唯一の例というわけでは全くない。さらに4つの、放射能に汚染され、潜在的には人間の生命にとって危ない場所を、世界各地から挙げよう。
1949年から89年までの40年間、ソビエト連邦はここで450回の核実験を行った。爆弾は大気中で、または地中で爆発させられた。一部のデータによれば、5回が失敗に終わり、高い放射線濃度のプルトニウムが広大な土地が汚染された。1961年、地中実験が始まった。300回のうち失敗は13回。結果、放射性ガスがまき散らされ、それが急速に大気に拡散した。隣接するアクジャルおよびモルダリ(クルチャトフ)の住民は、放射線に起因する様々な疾患に悩まされた。
1959年9月29日、プルトニウム採掘場で事故があり、国際スケールでレベル6にまで達した核事故が起きた。結果、100トンもの放射性廃棄物が大気中に飛散した。コンビナート「マヤク」周辺、具体的にはオジョルスク、チェリャビンスクおよびその周辺地帯は全域にわたって放射線に強く汚染された。ソビエト政府は事件を80年代末まで秘密にした。そのため、汚染地域の住民は20年間にわたり、それと知らずにそこに住み続けた。
ワシントン南東にある586平方マイルの敷地をもつプルトニウム製造所である。1943年から89年まで利用された。膨大なプルトニウム兵器の製造で4300万立方ヤードの放射性廃棄物が生み出され、1億3000万立方ヤードの土壌が汚染され、また、土壌に浸出した4750億ガロンの水が汚染された。今日、この地域のおよそ80平方マイルの土壌水が放射線に汚染されている。
おそらくこれが史上最も有名な原子力事故だろう。エンジニアのミスが原因となって起きた1986年の事故により、諸説あるが、全体で600万人が汚染された。放射能疾患で9万人が少しずつ死亡していった。破壊された原子炉の爆発は広島および長崎に落とされた2つの原爆の100倍強力だったと見られる。