「イデオロギーはないが、皆さんの個人的な見解や信念は存在する」というものは、十分に原始的な構造ではあるが、極めて効果的だ。存在するのは個人的な確信のみで、社会のイデオロギーはないとされる時、これらの信念によってつくられた力は目に見えないものとなり、公のものではなくなる。すなわち、完全に自由で、輩下に対していかなる責任も持たないものとなるのだ。そして信念が間違っていたことが分かった時、その責任は、信念を持っていた者にある。なぜなら、誰もその人物に信じることを強要しなかったからだ。近年のウクライナの歴史が、その明確な例だ。
ウクライナの首都キエフのマイダンを中心に行われた大規模な抗議デモ「ユーロマイダン」の主な原動力となったのは、「欧州の夢」だった。マイダンで活動した人々の主な「信仰」は、「ヤヌコヴィチ大統領を倒して、欧州に加盟して、稼ごう」という単純なものだった。現在ウクライナには、もうこの信仰はない、もしくは、ほとんどない。誰もウクライナを受け入れようとはしておらず、彼らを「養おう」とする国がないことが明らかになったのだ。ギリシャの例が、非常に明白に示している。マイダンの「恩恵」によって調印された欧州との連合協定は、ウクライナの経済生活を向上させなかったばかりか、明らかに悪化させた。
なおユーロマイダンのもう一つの原動力は、ウクライナ民族主義の概念だった。この概念の内部には、強い反ロシア的な要素が含まれている。そのため、この概念が積極的に利用され、未だにある成果を収めているのだ。しかし、この概念の起源はナチスにあるため、この概念を広汎に使用する可能性は大きく制限されている。また、この概念の最も明確な持ち主であるウクライナの「右派セクター」の戦闘員たちは、原則的に、ウクライナのポロシェンコ大統領にとって危険なものとなりつつある。ポロシェンコ大統領が権力を維持するためには、「右派セクター」を一掃するか、少なくとも、彼らを再び管理下に置く必要がある。ポロシェンコ大統領は、この問題を解決するために、ナチス・イデオロギーを規制しなければならない。このような状況の中で、ウクライナ政府が民族主義イデオロギーを活用すると同時に、その概念の持ち主を排除するのは、さらに難しくなるだろう。
こんにちウクライナ政府とウクライナのあらゆる社会管理システムは、まだ力を保持しているたった一つの概念を支えとしている。ウクライナとウクライナの人々は、米国側に立ってロシアと戦っている。ウクライナが、米国のためにしっかりと、そして献身的に尽くせば、米国と一緒にロシアに勝つことができ、その時、全てのウクライナ人に幸福が訪れると考えているのだ。なぜなら「ユーロマイダン」の真の組織者であり、「ユーロマイダン」をコントロールしていたのは、米国だったからだ。またウクライナの現政権も、米国に属している。そのため、ウクライナの住民が現在、自分たちの未来への希望を、米国一国のみと結びつけているのは、極めて論理的かつ自然なことだ。ウクライナ人に残された唯一の信仰のシンボルは、「米国は我々と共にある」というものだ。米国は、この信仰とウクライナにおける権力を維持するために、開かれた植民地統治体制に切り替えなければならなかった。米大使は、反抗しているウクライナの大富豪コロモイスキー氏に自分の立場を認識させ、新知事のモスカリ氏を支持するためにムカチェヴォに向かい、公然とポロシェンコ大統領を支持し、「右派セクター」に反対している。米国務副長官と米大使は、ウクライナ議会で、公にウクライナ憲法に関する投票過程を、自分たちにとって都合のいい方法でコントロールしている。これはウクライナに米国の権力が現実的に誕生したことを明確かつ公然と表している。
象徴的な活動もたくさんある。例えば、ウクライナ西部リボフ州における米国によるウクライナ兵士の訓練だ。実質的な意味は一切ないが、その代り、信仰の象徴を明確に示している。この米国への信仰とその全能性が、最近のイデオロギーの基盤となっている。これは今も機能しており、ウクライナ兵士とウクライナ政府は、この信仰を支えとしている。
ウクライナ人に、独立性の欠如や、主権の喪失などを指摘するのは、まだ無意味だ。なぜなら、ウクライナ人はまさにそれを切望しているからだ。ウクライナの人々は、米国と次のような取引を結ぶことを望んでいる―「私たちは米国の権力を認めます。私たちは、米国に尽くし、米国が私たちに指示することを全て遂行する用意があります。その代わりに、私たちは、米国が私たちの面倒を見て、必要なものを供給し、私たちが米国の支持に従って行う全てのことに対して、米国が私たちと一緒に対処してくれることを望んでいます」。
だが問題がある。米国は、ウクライナに対する責任を負おうとはしていない。米国は、ロシアに対する手段として、ウクライナを利用しようとしているのだ。ましてや米国は、ウクライナと何らかの取引をしようとは思っていない。取引など、一切する気はない。米国は、ウクライナを利用したことに対して、ウクライナに「お礼」をするつもりはない。全ては、革命の準備と遂行によって、すでに支払われているのだ。これこそが、米国の現実的な投資なのだ。そしてウクライナは今、その借りを返さなければならないのだ。ウクライナの人々は、自国の主権、そして自分たちの命を、米国の手に渡してしまったことをまだ理解していない。