「露日の領土紛争の双方に受け入れ可能な解決策の模索は10年がかりではきかない。見つかったと思われたことは何度となくあった。たとえば1956年、日本とソ連は有名な共同宣言に調印した。しかし間もなく、その条文が両者で別様に解釈されていることがわかった。モスクワは日本と平和条約を締結し、4島のうちの2島、すなわちシコタンとハボマイを譲渡する用意があった。そこに紛争解決の主眼を置いた。一方の東京は、シコタンとハボマイを獲得し、そのあとではじめて平和条約に調印し、そののちもイトゥルプおよびクナシル返還交渉を続ける、と考えていた。日本がこうした、モスクワにとっては全く受け入れがたい立場を表明するや、ソビエト政府は2島さえ与えない、という方針へと後退した。その原因は、日本が米国と、ソ連および社会主義陣営諸国を標的とする防衛協定を更新したことだ。
今日も半世紀前と同じく、南クリル紛争解決の道程には、2つの克服困難な障害が横たわっている。
まず、ロシアと日本の世論。ロシア人は4島全部を譲渡することはうけがわない。日本人は4島全部でなければ認めない。しかもいまやロシア人は平和条約調印と引き換えにシコタン・ハボマイを渡すというアイデア、もしくは露中モデルによる紛争解決を受け入れるのが困難になっている。2004年、ロシアと中国は、アムール地方の島々につき、それを面積で半分に分け、解決した。ではなぜ日本とも同じようなやり方で解決できないのか。こう聞かれたら、ふつうモスクワはこう答える。「中国は、領土紛争はこれで永久的に解決されたものと見なす、と固く約束した。それに中国はロシアで、対米抗争のパートナーとして受け止められている。しかし日本は、米国の同盟国である。自分の土地を仮想敵国の同盟国に与える意味がどこにあるか?」
それから、露日領土紛争解決には政治的障害もある。残念ながら、その障害は、日米軍事政治協力強化と歩調をあわせ、また露米関係悪化にあわせ、ますます嵩じている。ところで関係悪化はウクライナ紛争に端を発するものではまったくない。むしろ、ワシントンのほしいままの規則にしたがって生きることをロシアが望まないことにあるのである。こうした米国支配に立ち向かおうとするロシアの立場には多くの賛同者がいる。中国、インド、パキスタン、ブラジル、イラン、南アフリカ、その他諸国である。
しかし日本はその数には入らない。モスクワは、南クリルを渡しても日本が自動的に別のものになることはない、ロシアの同盟国になることなどさらにないと、すばらしくよく理解している。よってクリルをめぐる対話は長くかかる。しかしだからといって、それを止めなければならないということではない」