「私の見たところでは、二つの談話は全く異なるものだ。なぜなら天皇は、もしその談話を注意深く読んだなら、直接には近隣諸国に対する謝罪を述べてはいないからだ。彼は基本的に日本国民に対して詫びている。一方安倍首相の談話は、個人的にこれは秀逸なものだと思う。何しろ、いかようにも解釈できる代物になっているから。
安倍談話は日本国内でも批判されている。立場が明確に記されていない、侵略や植民統治への謝罪がない、というのである。安倍談話は二重の感情を呼ぶ。一方で、安倍内閣は、お望みの文言は全て盛り込みましたよと主張することが出来る。他方、この談話が学校で生徒らに教えられるようになったとき、これはいかようにも解釈され得る。ある意味では、中国・韓国をはじめとする近隣諸国の意見が取り入れられている。しかし、その中国は、早くも談話を批判している。談話は玉虫色だとして、相当厳しい批判を加えている。台湾もかなり激しく批判した。アジアの民衆に対する日本の罪という問題はまだ終結していないのである。
米国を含め、安倍氏が近隣諸国の気運を考慮せざるを得なかったことは明らかだ。しかし他面、彼は、米議会が「歴史修正主義」と規定した安倍哲学をも反映させた。さらに、周知のように戦争や植民地支配の罪を一切認めようとしない保守派の主張も考慮した。加えて、国内で高まりつつあるナショナリズムの空気も安倍談話には影響した。
しかし、保守政治家としての安倍氏の政治的談話としては、これは感動しないではいられない。
安倍首相は北京訪問を予定しているというが、もし中国に行くとしても、式典そのものには出席せず、おそらく翌日だろう。あるいはそこで謝罪の言葉が出るかもしれない。しかし確実に言えるのは、そのときでも彼の言葉は今回の談話を踏襲したものになる、ということだ」
このような談話で日本とかつて日本の植民地支配および軍国主義に苦しめられた諸隣国の関係が劇的に改善することなど期待してはならない。