なお、これより先の1966年3月、ソ連の自動惑星間ステーション「ベネラ3号」が金星に衝突した。この時は金星表面からデータは送られなかったが、もしこれを金星への着陸と考えるならば、「ベネラ3号」はすでに1966年に金星到達を果たした。
イタリアの学者ガリレオやロシアの学者ロモノーソフの時代から、人々は明け方に水平線の近くで輝く金星の秘密を解き明かそうとしてきた。そしてたくさんのことが明らかとなった。金星は太陽系で2番目の惑星(太陽からの平均距離は1億800万キロ、地球からの最短距離は4000万キロ)だ。金星の公転周期は約225日。金星の質量、密度、重力加速度は地球と似ている。しかし金星は太陽系の他の惑星とは違って自転の向きが逆だ。金星の1日は、地球の117日にあたる。金星の大気には二酸化炭素が多く含まれており、酸素は少ない。金星は地球に最も近い公転軌道を持つ惑星だ。しかし金星は厚い雲に覆われている。金星の表面の外観は、地球からレーダーや自動惑星間ステーションを使って何年にもわたって研究されてきた。厚い雲の下を覗くことに成功するまで、金星は完全に海に覆われており、生命が存在する可能性もあると考える学者たちもいた。その後、ソ連の自動惑星間ステーションが、金星の表面が生命のない、温度の高い、乾燥した岩石砂漠であることや、クレーター、断層、また表面の岩石の組織が地球の岩石と似ていることなどを発見した。
しかし金星についてはまだ解明されていない謎がたくさんある。学者たちは金星の雲の構造や成分について議論を繰り広げている。金星の上層大気の物理過程に関するデータが不足しているほか、金星の自転の向きが逆である理由も不明だ。
もう一つ金星に関わる秘密がある。それは当時、新聞では報道されなかった。「ベネラ7号」が打ち上げられてから5日後の1970年8月22日、ソ連は同じような構造の別の惑星間ステーションを搭載した打ち上げロケット「モルニヤM」を打ち上げた。「モルニヤM」の1段目、2段目、3段目は正常に機能して、打ち上げロケットを地球周回軌道の方向に向かわせたが、制御装置が故障してエンジンブースターが爆発してしまった。新たな自動惑星間ステーションは、金星に向かって飛行する代わりに、地球周辺軌道に意味をなさないまま残ってしまった。
しかし失敗しても人々は宇宙空間の調査や開発を止めなかった。別の惑星の開発がたとえ遠い未来の話だったとしても研究が続けられている。米国が1960年代、70年代、80年代に惑星探査計画「マリナー」、「パイオニア・ビーナス」、「マゼラン」の枠内で金星調査に多くの力と資金を費やしたのも偶然ではない。ソ連の自動惑星間ステーション「ベネラ7号」が金星で初めて成功させたミッションは、45年が経過した今も、21世紀の学者や設計者たちにとっての指針であり続けている。