まず記者は「彼を戦争に志願させた理由は何だったのか」聞いた。イェリン氏は、次のように答えているー
「我々は、欧州を奴隷化しようと欲したドイツのある人物と、自分達のルールをアジアに押し付けようと欲した日本人グループに由来する悪に直面した。彼らは、私の国を攻撃した。私には、1600万の米国人と同じく、我らの自由を守るために自分の命を捧げる用意があった。私は英雄ではない。自分の国の単なる一市民に過ぎない。もし私が今、21才だったら、そして同じ状況が形成されたなら、もう一度同じことをするだろう。
次に記者はイェリン氏に、広島・長崎の原爆投下について「あの爆弾が爆発した時、何を感じたか覚えているか」と聞いてみたー
「言うまでもなく、あのことについて覚えている。一千機の爆撃機が通常爆弾を投下しようと一機の爆撃機があれを投下しようと、私にとってはいかなる違いもなかった。あれは、私の命、多くの人達の命、日本の何百万もの人々の命を救ったのだ。日本人達は、米軍の進攻に反撃する方をよしとし、日本中全てが、戦いの中で死ぬ用意ができていた。それゆえ2発の原爆は、平和の到来を促したのだ。あれが私の命を救ってくれた。なぜなら我々は、九州への進攻を計画しており、多くの犠牲を払うだろうと覚悟していたからだ。しかしそれは起こらなかった。それゆえ私は、我々がああした爆弾を投下し、戦争に勝利した事を喜んだ。」
記者は、次に「ロシアでは、原爆投下はやりすぎだった。それが無くても、日本は事実上、すでに敗北していた、との見方があるが、あなたはどう思うか」という問いをイェリン氏にぶつけてみた-
「それは推測だ。正確には、我々はそのことを知らない。我々が知っているすべては、我々が、何千もの通常爆弾と、その何千倍も強力な2発の爆弾を投下したという事だけだ。そして原爆は作動し、我々は戦争に勝利した。一方私の命は救われ、家に戻れたのだ。」
「戦争は、戦争だ。兵器は、日本の一般市民が住む地区で生産されていた。その兵器も、人々を殺すためのものだった。戦争において、誰が敵か?彼あるいは彼女が市民であれ軍人であれ、自分の国に敵対するあらゆる人は敵なのだ。もし市民達が自分の政府に、我々は戦いたくないと言っていたら、戦争はなかったろう。しかし政府は、彼らを戦場に送ったのだ。」
最後にリア・ノーヴォスチ通信記者は、イェレン氏に「あなたは、日本の人々が、1945年の原爆投下とそれを行った米国について、どう考えているか知っているか?彼らが米国を許していないことを証拠立てる世論調査の結果もあるが、どう思うか?」と聞いたー
「古い世代の日本人は、殆ど皆、原爆は自分達の命を救ったとみなしている。でも若者達は、単に戦争というものを知らないし、それがどんなものかを理解していない。私が知る限り、現在日本では、防衛目的の兵器ばかりでなく攻撃兵器も作れるように、憲法を変えようとの試みが始まっているとの事だが、私には、それは正しい事とは思えない。」