モリーナ氏によれば、米国は20世紀中ごろ、グアテマラへの影響力拡大を図っていた。
「40年代、米国はグアテマラを実験台とし、故意に性病を蔓延させるなどした。その問題は今も未解決だ。3年前、米国は謝罪を行ったが、被害者の家族に対しては何らの賠償も行われていない。50年代に入ると、共産主義寄りだとして米国から非難されていた大統領の、排除が行われた。もちろん武器、航空機その他、あらゆるものが、米国から供与された。60年代は、米国、または資本主義陣営と、共産主義陣営の冷戦が本格化した。冷戦の中のホットスポットとなったのが、グアテマラだった。
内戦終結後も米国は介入方針を改めなかった。グアテマラは米国政府による麻薬戦争の主戦場の一つになった。
麻薬の消費市場は米国にある。しかしグアテマラおよび中米諸国は麻薬が米国に入るための回廊または倉庫へと化した。米国は麻薬を消費している。しかし同時に消費を低減するために、ここ中米諸国で戦っている。そして資源に乏しい我々に、戦争遂行を強制している。米国からはドルと武器が送られてくる。しかし人的犠牲を払うのは我々だ。我々は暴力と、安全性の欠如に苦しんでいる」。
収監中のモリーナ氏は、自らの現状を、「グアテマラにおける免罪取り締まり国際委員会(CICIG)」の活動に結び付けている。氏によれば、氏が間接的な証拠のみをもとに汚職の罪に問われたとき、この国連委員会を率いていたのは米国だった。
氏はまた、退陣の理由の一端が米国にあったのか、との問いに、「完全に、そして全面的にそうだ」と断定的に答えている。
モリーナ氏によれば、米国のバイデン副大統領は、度重なる会談および電話会談で、繰り返し、CICIGがグアテマラで活動を続けることを主張したという。
「同組織のプレゼンスはホンジュラスやサルバドールにとっても必要で、それは同盟関係のさらなる発展と、中米の北部三角地帯の繁栄につながることだ、とバイデン氏は言っていた」とモリーナ氏。
モリーナ氏は自身の無罪を確信しており、法廷闘争も辞さない、と語っている。「一部始終に関与したCICIGおよび米国が裁判の趨勢を左右することなく、法の正義が勝を占めることを期待する」とモリーナ氏。