ムシャラフ元大統領は、次のように指摘した―
「我々は、イスラム運動体『タリバン』を養成し、そのメンバーをロシアとの戦いに向かわせた。タリバン、ハッカニ、ウサマビン・ラディン、ザワヒリは皆、当時の我々の英雄だった。彼らが、悪魔となったのは後の事である。
1979年パキスタンは「戦闘的宗教過激派」への支援に着手した。「宗教的好戦性」なる専門用語は、我がパキスタンで生まれたものだ。
1990年代、インドとの間で領有権を争っているカシミールの解放を目指す戦いが始まった。その当時『タシカル-エ-タイバ』など11から12のグループが現れた。我々は、そのメンバーを支援し、養成した。なぜなら彼らは、自分の命を懸けてカシミール解放のために戦ったからだ。」
このように述べたムシャラフ元大統領は「現在戦闘員らは、パキスタン国内で、自国民に対する戦いをしており、これを止めさせなければならない」と認めた。
ムシャラフ氏は、1999年国家クーデターで政権の座につき、1999年から2002年まで、まず首相を務めた。