2015年ノーベル物理学賞受賞者 梶田隆章教授-業績の基盤にあるのはソ連の物理学者の研究

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2015年のノーベル物理学賞を受賞した東京大学の梶田隆章教授は、高い評価を受けた発見は、ソ連の学者ブルーノ・ポンテコルヴォの理論的研究のおかげで可能となったと語った。

梶田教授はロシアのマスコミに、ブルーノ・ポンテコルヴォの考えが自分たちの研究の基盤となったと述べ、自分たちはその理論の正しさを実地観察によって証明しただけであり、ブルーノ・ポンテコルヴォが先駆者であり、リーダーだと語った。

また梶田教授は、他の基礎物理学者と同じように、自分も理論物理学者たちの理論に立脚しているとし、実際のところ、ポンテコルヴォの研究の後に、ニュートリノに質量があることを疑った人はおらず、自分たちはそれを実地観察によって遂に証明できたにすぎないと指摘した。

ブルーノ・ポンテコルヴォは、偉大な物理学者エンリコ・フェルミの教え子の1人で、その人生は驚くほど波乱万丈だった。ポンテコルヴォは、イタリアのピサで裕福なユダヤ人の家族に生まれた。ローマ大学を卒業し、エンリコ・フェルミが指導する若手の研究者グループに入った。このグループは、後に原子炉の製造を可能とする重要な現象である中性子原則を発見した。

ポンテコルヴォは反ユダヤ主義の高まりを受けてパリへ移り、その後は米国で地質調査のために原子核物理学の知識を利用した。また中性子束を用いて鉱床を探す中性子検層という方法を開発した。その後ポンテコルヴォはカナダへ行き、重水炉の製造に取り組んだ。ソ連諜報機関の責任者の一人だったパーヴェル・スドプラトフは戦後、ポンテコルヴォが、フェルミが率いた米国の原子力プロジェクトに関する貴重な情報をソ連に提供したと語った。

ポンテコルヴォとその家族は、「ソ連の核スパイ」の1人、クラウス・フックスが有罪判決を受けてから3か月後の1951年8月に姿を消した。なおポンテコルヴォは、その共産主義的なものの見方を隠さなかった。ポンテコルヴォは、モスクワ郊外(現ドゥブナ)にある原子核研究所で研究を開始した。ポンテコルヴォはすぐにソ連の物理学者たちの特権階級に入り、スターリン賞を受賞、科学アカデミーの正会員となり、たくさんの勲章の所持者となった。ポンテコルヴォの同僚たちは、ポンテコルヴォがソ連へ亡命した理由の一つは、ドゥブナに当時世界最大の原子加速器が建設されたことだったとの見方を表している。

ポンテコルヴォは1993年、ロシアで亡くなった。80歳だった。ポンテコルヴォの遺骨は、ローマとドゥブナにある2つの墓に納められている。

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