杉原さんは1940年、リトアニアのカウナスの日本領事館に勤務し、ナチスに追われるユダヤ人難民に日本へのトランジット・ビザを発行しつづけ、何千人もの命を救ったことから、「日本のシンドラー」の異名で知られている。
「祖父によって命を救われたという人たちの子孫と私たちは未だに交流を持っています。これは豪州、カナダに渡った家族で豪州には私の息子も訪れ、この方たちのご家庭に泊めていただき、とても温かいおもてなしを受けました。」杉原さんの孫娘のまどかさんは、アファナーシエフ駐日ロシア大使からの質問にこう答えている。
「1960~70年代、イスラエルを訪れた日本人観光客に現地のユダヤ人からカウナスの副領事を知っているかとたずねられたそうです。杉原さんはイスラエルで広く知られていましたから。杉原さんによって救われた人の子孫は数万人にのぼっています。」学術啓蒙センター「ホロコースト」の共同代表で、ロシア・ユダヤ会議の会長をつとめるイリヤ・アルィトマン氏は除幕式でこう語った。
1940-41年、ソ連領を通って日本へと渡ったユダヤ人難民のトランジットに関する資料を収集するプロジェクトは3年前に開始された。目的は日本人外交官、杉原氏の功績を不朽のものとすることにある。このプロジェクトにはロシア、日本、リトアニア、フィンランドの研究者らが参加している。
杉原氏は1939-40年、当時リトアニアの首都だったカウナスで日本領事館の副領事として勤務。リトアニアには当時、数千人のユダヤ人が欧州全土から難民として逃れてきていた。杉原氏はカウナスでの職を解かれる1ヶ月前までビザを発給し続けた。その数は2132枚に及ぶことが分かっている。このビザのおかげでユダヤ人らはナチスの追跡をのがれ、ソ連領を通り、日本へと渡ったため、その先の国へとわたるチャンスを手にすることが出来た。