© Sputnik . Elena Badikova
近くの肉屋街から畜獣の解体の際に出る生ゴミがここに流れこんでいたからだった。
それが18世紀初頭、ピョートル大帝の片腕で知られる政治軍事家メンシコフがこの池の近くに領地を得、池を徹底的にさらうよう命じた。この時から池は清い水を湛えた池、「チーストゥイエ・プルドゥイ」の名を授かった。
20世紀を通じ、チーストゥイエ・プルドゥイは冬はスケートリンク、夏は舟遊びや散策の場として使われてきた。
1990年代ともなるとチーストゥイエ・プルドゥイは首都モスクワのインフォーマルなグループが寄り合い、ロック、メタル、パンク、ゴス、時にスキンヘッドまでオータナティブ音楽の愛好家たちが群れる場所としてロシア全土に知れ渡るようになった。
ここでの待ち合わせには、公園の端に建つロシアの作家グリボエードフの像がよく使われる。アレクサンドル・グリボエードフは作家であると共に外交官で1828年、赴任先のペルシャで命を落とした。
チーストゥイエ・プルドゥイは政治的な集会としても、サッカーで勝利の喜びに共に酔う場所としてもよく使われる。またフレッシュモブが行なわれている様子もよく見受ける。