新聞「ザ・ニューヨークタイムズ」の報道によれば、米国政府は1959年、ソ連の軍事及び工業潜在力を過小評価していただけでなく、ソ連市民を標的にした大量殺人を考えていた。
例えば米軍は、戦争の際「核兵器によりシステマチックに殲滅するため」モスクワにおいては179の標的を選定していた。また同様にレニングラードでは145、東ベルリンでは91の標的が選ばれていた。実際、標的とされたソ連の大都市の施設の大部分は、やはり工業用軍事用施設だったが、中には一般住民が住んでいる地区もあった。
ジョージ・ワシントン大学の職員で歴史学者のウィリアム・バリ氏は、新聞の取材に対し、次のように述べている―「実際仰天する内容だ。標的として、巨大な人口を有する大都市が選ばれているのが分かる。2006年に、米国の国立公文書館に出向き、冷戦時代のアーカイヴの提示を求めた。得られたのは米国空軍の標的リストだったが、これまで公開された中で、最も詳しいものだった。」