リプニツカヤは幼少時、ユリヤ・オリンピースカヤを名乗っていたという。「まだ言葉も覚束ない頃、苗字を間違えて、『私はユリヤ・オリンピースカヤ』と言っていた」。五輪を夢見るようになったのは、はじめてスケート靴を履いて立った1歳の時。「一番大変なのは、失敗したり、負けたりした後で、諦めないこと。仕事を続け、繰り返し繰り返し、コンディションを上げること。特に、けがにつきまとわれた時」。五輪前のシーズン、リプニツカヤは7つの怪我を負ったという。
自分の最大のお守りは、母親だという。「私のお守りは、ママ。どんな困難な状況からも引っ張り出してくれる」。
7日、ソチ五輪開幕から2年が経った。ソチ五輪でロシア代表は33枚のメダル(金13、銀11、銅9)を獲得、総メダル枚数で首位に立った。