聖ニコライ永眠の日:苦難を乗り越えてきた日本正教会

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104年前の今日2月16日、日本への正教会伝道に生涯を捧げたニコライ・カサートキン大主教が永眠した。76歳だった。日本の聖書学者・内村鑑三は、日露戦争の最中も敵国である日本に残り日本正教会のために尽くした聖ニコライを、最も偉大な信仰家であると、著書の中で記している。

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ニコライ大主教の功績とはどのようなものだったのだろうか。スプートニクは、横浜ハリストス正教会(生神女庇護聖堂)を管轄する水野宏(みずの・ひろし)司祭にお話を伺った。

水野司祭「ニコライ大主教の功績というのは、日本正教会にとって忘れることのできないものです。彼は1861年に来日し、1912年に永眠するまで、半世紀にわたって日本に正教を伝える努力をしてきました。彼が日本に来たとき、日本はまだキリスト教の布教を禁止していました。その中で彼は、函館の地において日本のことを一生懸命学び、日本人の弟子たちを獲得していったのです。他のキリスト教の教派と異なり、正教会は、ニコライ大主教ひとりの努力によって日本に根付いたと言っても過言ではありません。彼は日本人の弟子たちを多く獲得し、教育することで、日本人の手による日本人への正教の布教に成功したのです。そして彼は、現在も私たちが使っている聖書や祈りの本を全て日本語に翻訳しました。ニコライ大主教が東京に築いた東京復活大聖堂は、彼の名前をとって今も『ニコライ堂』と呼ばれています。

彼が1912年に永眠した後、残念ながらロシアは革命やその他の不幸な時期を経ることになり、その間日本の正教会も信徒の数が減少してしまい、今に至っています。しかし私たち日本人の正教会信者は一致結束して、ニコライが日本にまいた正教会の種をいっそう大きく、実りのあるものにしていきたいと考えています。」

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ロシアで行われている日本の正教会信者のための教会の建設 11月までに完了
聖ニコライ永眠後、日本の正教会も苦難の時期を乗り越えてきた。ロシア革命によって1917年に成立した共産党政権はロシア正教会を弾圧し、日本の正教会は誕生した直後に、母教会の支援を失ってしまった。その後1923年、ニコライ堂は関東大震災によって上部ドームを失い、火災に見舞われて、土台と煉瓦壁のみが残された。日露関係・日ソ関係悪化の影響や偏見にも苦しみ、第二次世界大戦中は宗教団体への政府の統制を厳しく受け、様々な圧力を受けた。

1970年、日本正教会はロシア正教会と正常な教会関係に復帰し、聖自治教会として再出発を果たすことができたが、現在の世界情勢はキリスト教世界に安定・安心を与えていない。折りしも今月13日、ロシア正教会の指導者、モスクワ及び全ルーシ総主教キリルとカトリック教会を代表するローマ法王フランシスコが初の対面を果たし、共同宣言を発表。キリスト教徒が自身の信仰に従って生きる上で、差別を受けるなど困難に直面するようになってきたことを受け、中東・北アフリカではびこるキリスト教徒迫害を非難した。

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