AFP通信は機密資料は、1981年から1990年まで内務相を務めた故チェスラフ・キシャク将軍の自宅から発見されたと報じた。国家記銘院の調べでは機密資料の中にはワレサ氏のコードネームが署名された協力への合意文書が見つかっている。
2008年、ポーランドでは『保安庁とレフ・ワレサ』と題された本が発表され、大きなスキャンダルを呼んだ。本の著者である国家記銘院の2人の歴史家のスラヴォミル・ツェンツケヴィチ氏とピョートル・ゴンタルチク氏は、「連帯」の創始者として伝説的なワレサ氏がすでに1970年代に保安庁にリクルートされており、ボレクの偽名で6年にわたって活動していた事実を証明しようと試みた。
ワレサ氏がポーランドの社会主義特務機関と協力していた事実は、2010年に事故死したカチンスキ大統領も主張していた。
労働者の権利を支持したことでノーベル平和賞まで受賞したワレサ氏は、自分に向けられる非難を今まで何度も否定しており、2000年には裁判を通じて、そうした非難が事実無根であることを公式的に証明してきた。