ICTYは、ボスニア紛争時の人道に対する罪、国連職員を捕虜にとったこと、また1992年から1996年のサラエボ包囲に関与した容疑で有罪とした。またカラジッチ被告は、1995年にスレブレニツァで発生したジェノサイド(集団虐殺)でも有罪とされた。
判決を言い渡したのは韓国の権五坤(クォン・オゴン)裁判官。カラジッチ被告には、禁錮40年が言い渡された。
カラジッチ被告は13年にわたって逃亡生活を続けた。拘束される数年前にはセルビアの首都ベオグラードでドラガン・ダビッチという名の医師になりすまして暮らしていた。被告は2008年7月21日にベオグラードで拘束された。