しかし山口組が分裂したのは昨年夏のことで、それから現在に至るまで絶え間なく抗争が繰り返されてきた。既存の指定暴力団から分裂した段階で、新団体を指定暴力団と見なすことはできないのか。いや、そもそも「ヤクザ」という存在自体を、法律違反にすることはできないのか。暴力団を組織した時点で法律違反だとして全員逮捕すればよさそうなものだが、なぜそれをしないのか。
ヤクザの世界に詳しい鈴木啓之氏(シロアムキリスト教会牧師)によれば、それは歴史的な経緯のためだという。ヤクザはもともと二種類しかなかった。博徒(ばくと)と呼ばれるギャンブルを生業にする人と、テキヤと呼ばれるお祭りで商売する人だ。博徒とテキヤが生きる道はそれぞれ「仁侠道」「神農道」と呼ばれており、どちらも「道」という字がついている。つまり、こう生きるべきだという方向性があったのだ。彼らは自分たちの「分」というものをよく理解していた。日陰者という言葉の通り「自分たちはお天道様の当たるところを歩いてはいけない」という意識があったという。かつてのヤクザは、抗争にもつれこむと本来の商売ができなくなるため、できるだけ抗争をしないようにしていた。しかし自分たちのシマを荒らされたり、名誉を傷つけられたりすると、男として生きる上で面子が立たなくなるため、抗争に臨んだ。しかし今では取り締まりが厳しくなり、博徒やテキヤという生き方はできなくなった。
何が正義なのかは時代によって変わります。法律が整備される前は力が正義でしたが、法律ができた時点で、『法律に違反したかどうか』ということで裁かれます。ヤクザの世界は、法律のない時代からずっとあった世界で、昔は常識だったことが今は非常識になっただけです。興業と名のつくものや競輪・競艇・競馬などは全て、ヤクザの仕事でした。プロレス・相撲・芸能人の地方公演などもそうです。時代が変わったのでそのことを知らない人が多いですが。今の時代の価値観だけで捉えてしまうと、見えないものがたくさんあります。」
国や政財界とヤクザの持ちつ持たれつの関係は長く、昔はヤクザの親分だった人が政治家になったり、財界のリーダーがヤクザ組織を使って、汚れ仕事をまかせることもあった。歴史の中で、本当に日本が行き詰まり、身体を張ってでも日本を守らなければいけないという時に、真っ先に使われたのはやはりヤクザだったという。
鈴木氏「契約さえあれば強盗や殺人も辞さないマフィアと、ヤクザとは違います。昔のヤクザとは、男の生き様として、それぞれの『道』を求めた人たちです。武士道とも近いものがありました。オレオレ詐欺をしたり強盗をしたりしているのはただの暴力団であって、私はこれをヤクザだとは思いません。」