これについて、モスクワ国際関係大学、国際調査研究所の上級研究員、アンドレイ・イヴァノフ氏は次のような考察をまとめた。
その結果、北朝鮮には中国製の製品、食料品が姿を現し始め、民間経営のレストラン、小規模の工場が出来始めた。だがこうした無秩序状態に終止符を打つ代わりに、2000年代の初め、金正恩氏は経済改革の開始を宣言した。正恩氏が感化を受けたのは中国、ベトナム、ロシアの事例だった。といっても当然ながらエリツィン型の経済改革ではない。プーチン型のものだ。そしてこれを韓国の金大中(キム・デジュン)大統領が支援した。かつて政権からの抑圧を受け、韓国版CIAの韓国中央情報部によってもう少しで殺害されるところだった金大中氏は、対北関係に『太陽政策』を推し進め、2000年の夏にはピョンヤンを訪れ、金正日氏と会談まで実施した。
ところが、国内の改革反対者の抵抗、米国のあからさまな敵意、保守が政権に返り咲いた韓国の、どう考えても利口とは言えない政策にもかかわらず、政権を引き継いだ金正恩氏は改革に新たな弾みをつけた。こうしたことは、スイスのエリート校で学んだこの人物からは十分期待できたことだった。かくて北朝鮮のバラエティーショーのステージには、以前なら『米国帝国主義』のシンボルとして禁じられていたミッキーマウスやミニー、西側のスケールからしてもあまりにも短すぎるミニスカートをはいた少女歌手が登場しはじめる。また北朝鮮経済には成金が出現した。この成金らは一見、『役人』の仮面を被っているが、実際は自前の工場や企業を持つ、れっきとした経営者だ。
一言で言うならば、北朝鮮は変わりつつある。この国は民主主義の輸出国である米国のずたずたにされたユーゴスラビア、イラク、アフガニスタン、リビアのような悲惨な運命を繰り返さないために、軍備に途方もない経費を費やさざるを得ないものの、それでも新たな経済を築こうとしているのだ。
この路線を揺ぎ無いものとするために金正恩氏は今、大会を必要としている。若い指導者は西側からの多大な圧力に抗し、保守派の改革反対を克服するために与党政権党の党員らの支持を取り付けたいと望んでいる。この試みが吉とでるかどうか。ピョンヤンへ赴き、大会の様子を見てみようと思う。