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大祖国戦争の退役軍人
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祖国ロシアを守ったこれらの勇敢な人々は多くの世代の模範となっている。 2016年5月5日, Sputnik 日本
2016-05-05T20:30+0900
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2022-04-27T22:11+0900
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大祖国戦争の退役軍人
2016年5月5日, 20:30  (更新: 2022年4月27日, 22:11) 祖国ロシアを守ったこれらの勇敢な人々は多くの世代の模範となっている。
私たちの国では多くの人に彼らの英雄的物語が知られている。うちのいくつかをご紹介しよう。

アナトリー・フョードロヴィチ・ドブルィニンさん。 1922年7月12日生まれ。 1941年6月22日、高校卒業の一週間後、入隊した。1942年末、スターリングラードでロコソフスキー陸軍対空砲小隊を指揮。1943年、クリミア解放の際に負傷、腕を失った。

アレクセイ・ペトロヴィチ・シャマリンさん。1925年2月20日に生まれ、1943年に17歳で入隊。部隊を率いた。ケーニヒスベルク襲撃で重傷。 1945年に故郷に戻った。トラクターの運転手、作業長、コルホーズ代表などを務めた。

ウラジーミル・ヤコヴレヴィチ・ゴルチャコフさん。1924年10月4日生まれ。1942年8月、17歳で入隊。ウィーン解放に参加。1945-1947年、オーストリアとハンガリーで勤務。復員後、カリーニン教育学研究所の歴史部門で学び、村の学校で長年にわたって歴史を教えた。

アンナ・イワーノヴナ・ナザロワさん。1924年7月26日に生まれ、1943年以降リャザン部隊付き情報官、トゥーラ対空砲部隊付き情報官、リガで電話手。 1945年7月復員、故郷の村に戻った後、1950年には家族でベジェックに移動。

ミハイル・ガヴリロヴィチ・ナザロフさん。1943年12月入隊、第三ウクライナ戦線で砲手、ベルリンに達しチェコスロバキアを解放。復員後帰郷、コルホーズでトラクター運転手。

エヴドキア・グリゴリエヴナ・コズロワさん。1927年3月17日生まれ。1941年10月からパルチザン運動に参加。赤軍の到着後大砲のための道を清掃。 1942年負傷後、カリーニンで治療。その後会計学を学び検量者に。

ウラジミール・ミハイロヴィチ・ペトロフさん。 1926年5月30日生まれ、1943年入隊。特殊部隊の落下傘兵に。1944年には戦車大隊に。コラ半島からバレンツ海経由でセルビアへ。ドイツ、チェコスロバキア、オーストリア、スロベニア、ハンガリー、セルビアの解放に参加。復員後帰郷、精肉コンビナート内の運転手に。

イワン・カルポヴィチ・プロホロフさん。1926年6月19日生まれ、1943年5月5日入隊。ゴーリキー戦車学校卒業後機甲大隊の砲手・運転手勤務。日本との戦争に参加。戦後、1950年11月に復員するまで無線オペレーター兼砲手、のち武器職人に。

アレクサンドル・イワノヴィチ・トゥピツィンさん。カリャージン地方のバチマノヴォ村で1924年4月6日に生まれた。 1942年8月、迫撃連隊予備入隊。 1943年8月以来北西部戦線の迫撃砲員。 1955年に復員した後はトヴェリ州に住んでいる。