家族とニースで休んでいたロシア女性キラ・カリーニナ氏は次のように述べた。
「私たちは車に乗っており信号のあるガンベッタ大通りの交差点、右側、歩行者ゾーンに近い側にいた。突然、野生じみた叫びがあがり、人々は恐怖で逃げまどった。そして次の瞬間、巨大なトラックが、彼らを追いかけてきた。私たちから2メートルの距離だ。明らかに、直接的に、意図的に殺すために、時速100から120kmの速度で走行していたように見えた!道を迷いはしない、行くべき場所を正確に知っていた。わずか1秒のことだ。その後、人々がアスファルトに横たわった。私の前に運転手が出てきて、何をすべきか分からないでいた。私はクラクションを鳴らし始めた。すぐに曲がって、立ち去りたかった!脇道を通って家に帰ろうとしたが、群衆が歩いていた。何が起こっているか知らなかったのだ。トラックは花火の後7から10分を経て出てきたので、群衆の大部分はもう分散していた。そうでなければ、はるかに多く被害者が出ていただろう。迅速に脱出する必要があったので、何も撮影はしていない」
カナダのジャーナリストでポータルVacay.caの編集長エイドリアン・ブリイバッシ氏はスプートニク・フランスのインタビューで悲劇の後の様子を次のように述べた。
「私はすでにテロが行なわれた後の22時30分頃現地入りした。友人と会うために海岸に沿って歩き、通りが空っぽであることに驚いた。人々はバーやレストランがある市の沿岸部から歩き去っていた。そこには、人々が花火を見に集まっているはずだったのに。近くに来ても、私のほかにそこにほとんど誰もいない。私は、何かが起こったのだ、と気づいた。それから私は、テロが発生したことを「ウーバー」から通知された。私は友人たちのことが心配になった。連絡は通じなかった・・・
・・・その後、私は偶然、ニース出身の別のジャーナリストに会えた。彼は自分の町で起こったことを非常に悲しがっていた。地元の人はこのような考えだ。「なぜ私たちが?」
ニースでのトラック突入テロ事件で現場にいたフィンランド人観光客のオッリ・アントネン氏は奇跡的に難を逃れた様子を語った。
アントネン氏の話では花火を見物し、妻とホテルに帰宅する際に海岸に向かって猛スピードで走っていくトラックを目撃したという。
「突然、叫び声が上がったと思ったら、大型の車が海岸通りをものすごいスピードで突っ走っていった。スピードは時速80-90キロだったと思う。トラックは道にいた人たちをすべて轢き殺していった。」
トラックはアントネン夫妻から10メートルほど離れた場所を走り抜けていった。
アントネン氏の話では事件当時広場には多くの人出があったため、市民にはトラックの走る場所から逃げようにも逃げられなかった。
「現在、町はショック状態にある。戦争の最中のようだ。」アントネンさんは既に帰国の意思を固めているという。
テロ事件の発生後、仏では3日間の国喪が宣言された。