ちょうど25年前の1991年8月19日、「ゴルバチョフの政策に反対している」ソ連の党高官ら(のち「反乱者」と呼ばれることになる)が、国家非常事態委員会を作り、国家の崩壊を止めるために、国に緊急状態を敷こうとした。しかし、彼らの奇妙な、矛盾した行動は、むしろソ連の崩壊を加速させた。この顛末はあまりにも疑問だらけであり、本当に「反乱勢力」が政権奪取とゴルバチョフ排除を望んでいたのか、ゴルバチョフ氏自身がこの行動を許可したのではないかと疑問視される、と「ヴズグリャド」。
1991年にソ連大統領府長官に就いたワレリー・ボルジン氏によれば、バルト諸国と南コーカサスにおける民族主義と分離独立傾向の活性化に関連して非常事態を敷くという問題は1990年時点で当のゴルバチョフによって提起されていた。その会議に出席していた全員が後で緊急委員会の一員になったと「ヴズグリャド」はいう。
ソ連首相ワレンティン・パヴロフ氏によれば、ゴルバチョフ氏は8月3日、新たな同盟条約に関する作業を終え、拡大版の閣議の議長として演説したが、そこで、各共和国は重要な問題について合意に達することができないことが示された。パヴロフ氏はゴルバチョフ氏の演説を引用している。「緊急措置が必要なら、緊急なのだ。すべての人を強制せよ!」。こう命じたゴルバチョフ氏が、なぜか次の日、「心安らかにフォロス(クリミア)に休暇に行った」。ソ連崩壊後の彼のスピーチの一つで、ゴルバチョフ氏は、「反乱」計画について事前に知っていたと言った。なぜ、何も手を打たなかったのか? 「反乱勢力」と彼のフレンドリーな会話を考えると、何も手を打ちたくなかったのか?と「ヴズグリャド」。
もちろん、ソ連とロシアはラテンアメリカではないが、我々のところでだってクーデターはそのようには行われない、と「ヴズグリャド」は締めくくった。