杉原氏をしのぶ会は、モスクワのパクロンナヤ・ガラーにあるメモリアル・シナゴーグで開かれ、外交官や学術界の代表者らも出席した。
杉原氏は1939-40年、当時リトアニアの首都だったカウナスで日本領事館の副領事として勤務。1939年にポーランドがナチス軍に占領された後、ナチス第三帝国での迫害を逃れてユダヤ人難民がリトアニアに押し寄せた。しかしそのうちの大勢が旅を続けるための手段を持っていなかった。杉原氏は、日本での身元保証人の存在や金銭的保証に関する指示に反して彼らにビザを発給した。
杉原氏はカウナスでの職を解かれる1ヶ月前までビザを発給し続けた。その数は2132枚に及ぶことが分かっている。ビザは家族に対して発給され、そのおかげで複数のデータによると6000人から1万人が救われた。このビザのおかげでユダヤ人らはナチスの追跡をのがれ、ソ連領を通り、日本へと渡ったため、その先の国へとわたるチャンスを手にすることが出来た。
ナチスの占領地あるいは中立国でこれほどたくさんのビザをユダヤ人難民に発給した外交官は誰もいない。