チベットかブータンの伝統的様式で建設されたこの建物は、高さ約400メートルの丘の上にあるにもかかわらず、かなり近くまで行かなければその存在に気付くことがない。通常、観光客には公開されていないこの寺院が今回特別にスプートニクの取材に応じてくれた。
インタビューに答えたのは寺院の指導者でロシア系ウルグアイ人のペマ・ゴムポ(Pema Gompo)氏。ペマ・ゴムポ氏の話では寺院はこうした閉鎖的な環境を保ってはいても、地元政府との関係維持のため、月に1回だけ観光客の受け入れを行っている。とはいえネパール人絵師が内装画を描いたカラフルな建物には、オレンジの僧衣をまとい経を唱える僧侶の群もない。
しかし、観光客誘致を目的とせず、僧侶もいないのであれば、この寺院は何のために存在しているのだろうか?
チベット仏教四大宗派のうち最古の宗派、ニンマ派の仏教センター国際ネットワークの一端をなすこの寺院は、世界中から人々が訪れ、精神修行に打ち込むことができるよう、リトリートセンターとして建設された。寺院内にある約40人を収容する部屋の他にも、極めて美しい家が10軒、近隣の丘に点在している。リトリート参加者はそこで外界から完全に隔離され、修験者のような生活を送ることができる。ペマ・ゴムポは寺院で教鞭をとり、弟子たちが正しく精神修行を行うよう監督している。「深く没入するということは、昼夜を問わず、長期間にわたる絶え間ない修行を意味します。そのためには、静かな場所が必要です。仕事を忘れ、ある期間は家族を忘れることが必要とされます。それは10日になるとも、数年に及ぶともしれません。その間、没入せねばならないのです」と師は語る。
リトリートに来る人たちは通常、仏教に通じているだけでなく、ニンマ派(Ñingmapa)の信者であることが多い。しかし、たとえ仏教の伝統について一切知識がなくとも、仏教の修行を始めようとする人すべてに寺院の扉は開かれているのだとペマ・ゴムポは強調する。ペマ・ゴムポは冗談めかして、初めて来る人の大部分は自分が何を探しているのかが全く分かっておらず、精神修養がどんなものなのかについて神話的な考えしか持っていないとして笑い顔で次のように語っている「彼らは、ここを訪れ、座り、瞑想すれば、次の日には後光が差し始めるのだと思っています。当然、学習が始まると、定期的な修行が必要であり、それには長い時間がかかるのだと教えられ、それを聞いて多くの人は去って行きます。」
ペマ・ゴムポによると、時として有名人もこの寺院を訪れるという。しかし、俳優や政治家のような有名人は、自分がここに来ていることを口外しないでくれというらしい。
修行者は朝5時30分に起床し、30分後には寺院に来て、集団修行を始めなくてはならない。それが終わってからようやく朝食をとり、その後、各自が自分の修行に打ち込んだり自分の仕事をしたりする。日中は弟子全員が道場に残るわけではない。仕事に行く人もいれば、学校に行く人もいる。寺院に残る人たちはそれぞれ自分の仕事をする。「例えば、コンピューターが使える人は、寺院のウェブサイトの管理をします。料理が好きな人は何かを調理しますし、庭の手入れが好きな人は植物の世話をします。つまり、各自が自分の仕事を持っているのです」と師は話す。夜は集団修行に全員が集まり、その後、それぞれの寝室に帰る。午後10時きっかりにセンター全体が消灯する。
師の話では、中には寺院の静寂に耐えられない人もいるという。周りに何の音もないことで眠れないと言ってリトリートを去る人さえいる。「あるブラジル人のケースです。彼はここに自家用車でやってきて、多数の箱を車から降ろしはじめました。何年もここにいるつもりだったのでしょう。何を持ってきたと思いますか?テレビ、オーディオ、大量のモノ・・・コンピューターなどです。オーディオにはこんな大きさのスピーカーがついていました(大きさをジェスチャーで示す)。彼はすぐに音楽を流し始めましたが、次の日にはリトリートセンターを去るよう求められました。精神修行について間違った考えを持っている人も時々いるのです」と師は笑いながら思い出した。