国際情報通信社Sputnik(スプートニク)は、ワシントン支局で編集員として2月から10月まで働いていた自分達の元職員ビル・モラン氏の記事を公表した。
Sputnik英語版の自分の最後の記事の中で、モラン氏は、疲労からサイト上にチェックしないまま情報を出してしまった事を明らかにした。10月10日、米国がコロンブスの記念日を祝っていた時、モラン氏は、12時間勤務の間に12の記事を書き、2人の筆者の他の論文5本をリライトし校閲した。彼は、サイト上の読者に「私は、あまりに急いで仕事をし過ぎた」と説明している。
モラン氏は、内供告発サイト「ウィキリークス」のサイト上で他の文書と共に暴露された、クリントン陣営の選挙対策本部長ジョン・ポデスタ氏へのヒラリー・クリントン候補の代理人シドニー・ブルメンタール氏の手紙を引用したさい、誤って、シドニー・ブルメンタール氏の言葉として雑誌Newsweekの記事の一部を使ってしまった。その場合、ブルメンタール氏は、リビアのベンガジでのテロ事件で米国人が死亡したことに対し、ヒラリー・クリントン前国務長官の責任を認めたことになってしまう。
モラン氏は「引用の際、人気のツイートに目が向いて、ブルメンタール氏の75ページの手紙を読む時間がなかった」と述べた。その際彼は「自分がどんな誤りを赦してしまったかすぐに気づき、記事を削除することに決めた」と指摘している。しかし記事が削除されるまで、それは19分間サイト上に掲載され、およそ千人がそれを読んだ。
しかるべき答え
スプートニクのサイト上での記事は、見過ごされなかった。米国のジャーナリスト、クルト・エイヘンワルド(Kurt Eichenwald)氏は「シドニー・ブルメンタール氏の言葉」の中に、かつて自分が書いた記事のテキストがあることに気が付き、記事に反応した。彼は、その答えとして「親愛なるドナルド・トランプ及びウラジーミル・プーチン殿、私はシドニー・ブルメンタールではありません」との見出しで記事を書いた。
その中で、米国のジャーナリスト、クルト・エイヘンワルド氏は、次のように非難している-「ロシア人は、偽の物語を作り出すため、ウィキリークスが暴露した本物の文書を用い、それを変えて、この作り話を考えついた。ドナルド・トランプ氏自身が、それを唱和するほどの物語である」
若いジャーナリストであるビル・モラン氏は、サイト上に間違った情報を出した後、スプートニクを解雇された。彼は、エイヘンワルド氏とTwitterを通じて連絡を取り、ブルメンタール氏の名前は誤ってスプートニクの記事に出たことを説明した。エイヘンワルド氏は、スプートニクの筆者がサイトにアクセスできないようにし、Newsweekの.記事を修正しなかった。
そのあと、エイヘンワルド氏は、モラン氏に電話をかけてきた。モラン氏によれば、1時間と6分話は続いた。その後、モラン氏は電子メールで返事を出し、話を公けにするつもりだと書いた。エイヘンワルド氏は、若いモラン氏に「The New Republic」の政治評論員にならないかと提案した。モラン氏は「自分には、仕事のオファーを受け入れ、この記事を公表しないよう忠告する友人がいる」と書いた。
しかしモラン氏は、提案を拒否した。
プーチンとモーニングコーヒー
モラン氏は、自分の記事の中で、スプートニクは、クレムリンによってコントロールされてはいないと強調し、次のように指摘している-「私とヴラッド(ウラジーミルの愛称、プーチン大統領のこと)は、モーニングコーヒーのことで話したりしない。スプートニクは、ロシア政府から財政援助を受けているが、誰も一度も、何を書くべきか言ってはこなかった」。
モラン氏は、記事の終わりを次のように結んでいる-「私は、厳しく批判されるだろう。私は、スプートニクのために813本の記事を書いたが、ただ一度間違いを犯したことは、事実である。その間違いは、意図的に事実に反しなされたものと呼ばれ、ヒステリーにまで煽られた(Newsweekが示したように)。私の名前は永遠に、グーグルの中に残るだろう。これは真実であり、それが私の望みである」。
スプートニクは、モラン氏に対し、スキャンダルが火を噴いた後、ワシントン支局に戻るよう提案したが、彼は、感謝の言葉を述べながらも、この提案も斥けている。