1612年のこの日、ニージヌィ・ノヴゴロドの市民クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公が義勇軍を組織し、外国軍を駆逐しモスクワを解放した。
祝日は帝政時代に伝統的に祝われていたが、社会主義革命が行なわれた1917年に国の定めた祝日からは外されてしまった。しかし2005年にふたたび国の祝日に戻され、「民族統一の日」として祝われることになっている。
毎年この日はロシア全土の都市でデモンストレーションや集会、コンサートが催されており、モスクワでは目抜き通りのトヴェルスカヤ通りで「我々はひとつ」と題された市民による行進が行なわれた。対露制裁の影響でロシア国内の多民族を一つにまとめるこうした催しは例年重みを増している。