ここでは「閑話休題」として、この本に書いていない、プーチン来日前の政権の裏事情を明らかにしたい。ガスプロムがメインの分析では、どうしても抜け落ちてしまう部分が生じてしまう。そこで、今回はいまのプーチンの政治権力の状況について最新の知見を紹介することにしたい。いわば、拙著刊行記念の「おまけ」のようなものである。しかも、≪上級者向け≫である。二流、三流の似非ロシア専門家によるロシア分析には登場しない高度な考察を無償で開陳することにしたい。
プーチンが孤高を強めていることについてはすでに解説した(「地球座」の拙稿を参照http://chikyuza.net/archives/tag/%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A6)。本稿では権力基盤である合法的暴力装置としての諜報機関や治安維持機関の実情を考察することでプーチン政権の裏事情を白日の下にさらけ出したい。本稿はあくまで≪上級者向け≫である以上、連邦保安局、検察庁、予審委などについては説明しない。筆者はかつて拙著『ネオKGB帝国』のなかで合法的暴力装置について詳細に分析したことがある。こうした背景を知れば、本稿の記述をよりよく理解することにつながるはずだと付言しておきたい。
もちろん、ロシアの現実に肉迫すればするほど、この「スプートニク」の中立性が重要になる。読者はロシア人が読んでもきわめて参考になるはずの筆者の論考を「スプートニク」がどこまで掲載するつもりがあるかを、じっくりと見定めてほしい。もし、この論考がアップロードされないような事態になれば、上記の「地球座」のサイトにアップロードするだけのことだが、そうならないことを望む。この論考が「スプートニク」にアップロードされれば、それは「スプートニク・ジャパン」が「太っ腹」であることの証明となるだろう。
大注目のコロリョフ
The Economist (Oct. 22nd, 2016)は、Special Reportとして14頁にのぼるロシア特集を組んでいる。そのなかで「権力構造」の項目を設けて、セルゲイ・コロリョフとデニス・スグロボフの話を紹介している。この二人を取り上げたことは実に的確なのだが、この二人の名前を聞いてピンとくる専門家は日本にはいないだろう(まあ、筆者くらいか[笑い])。外務省御用達の「元外交官」やタレント事務所所属の「ロシア通」に、真っ当なロシアの政治経済分析ができるはずもない。だからこそ、こうしたバカが間違った情報を垂れ流している現状に警鐘を鳴らさざるをえないのだ(1)。
2016年7月8日付大統領令によって、セルゲイ・コロリョフはソ連国家保安委員会(KGB)の後継機関の一つ、連邦保安局(FSB)の主要内部機関である「経済安全保障サービス」(SEB)のトップに就任した。同時に、前任のユーリー・ヤコヴレフは「年金生活」に入った。このコロリョフこそ、合法的暴力装置をめぐる混乱の中心にいた人物であり、そこでもっとも著しい成果をあげた実績を買われて昇進する栄誉を得たことになる。コロリョフはFSBの内部にかかわる全職員を捜査する部署である内部安全保障サービスのトップから、より多くの部下をかかえるSEBのトップに異動したのだ。SEBは金融や経済といったビジネス全般を監視する部門であり、コロリョフが本気になれば、腐敗などを名目にしてだれでも逮捕できるほどの権力を手に入れたことになる。
スグロボフという男
表「近年の「合法的暴力装置」をめぐる出来事」に示したように、コロリョフは最近、「大活躍」をしている。
表 近年の「合法的暴力装置」をめぐる出来事
FSB内部安全保障サービス長官時代のセルゲイ・コロリョフ
2014年2月 FSB内部安全保障サービス傘下の第六部長イワン・トカチェフの指揮下で、内務省経済安全保障・腐敗対抗総局長デニス・スグロボフやボリス・コレスニコフ同副局長を収賄、権力濫用、犯罪グループの組織化の容疑で逮捕。内部安全保障サービス副長官オレグ・フェオクチストフが作戦を担当していた。後にコレスニコフは自殺。
2015年3月 サハリン州知事アレクサンドル・ホロシャヴィン、収賄容疑で逮捕。ホロシャヴィンは同月、大統領令で解任。
2015年9月 コミ共和国知事ヴャチェスラフ・ガイゼルら約20人を逮捕。ガイゼルを組織犯罪グループのトップと認定。ガイゼルは同月、大統領令で解任。
2015年末 ULS Globalに対する密輸捜査。捜査対象者のなかにFSB経済安全保障サービスの「K」局第七管理部長、ヴァジム・ウヴァロフがいた。彼はミハリチェンコに関係。
2016年3月 サンクトペテルブルクのホールディング「フォールム」の経営者ドミトリー・ミハリチェンコをアルコールの密輸の容疑で逮捕。彼の「屋根」として、連邦警護局長官エフゲニー・ムロフがいた。ムロフはミハリチェンコのビジネス上のパートナーであるニコライ・ネゴドフとともに数年間働いていた。ムロフ、ミハリチェンコ、ネゴドフはノヴゴロド州にあるヴァルダイ湖岸のある村にともに別荘をもつ関係にあったのだ。
2016年5月26日 大統領令によりムロフ連邦警護局長官、解職。自己都合による解職とされたが、実際にはミハリチェンコとの贈収賄を含む不法な関係があったとされる。
2016年6月 ウヴァロフの直接の上司、ヴィクトル・ヴォロニンFSB経済安全保障サービス「K」局長、解任。
2016年6月 キーロフ州知事ニキータ・ベリフ、収賄容疑で逮捕。担当者はコロリョフの副官、フェオクチストフ。7月28日付大統領令で、ベリフ解任。
FSB経済安全保障サービス長官時代のセルゲイ・コロリョフ
2016年7月 ロシア予審委員会トップ、アレクサンドル・バストゥルイキンの右腕と呼ばれる、同委員会傘下の省庁間相互行動・内部安全保障総局の指導者、ミハリル・マクシメンコを含む、ロシア予審委員会の幹部を拘束。
2016年7月26日 FSBと予審委員会の職員は連邦関税局長官のアンドレイ・ベリヤニノフとその従者の自宅と事務所の捜査。7月28日、メドヴェージェフの署名した政令によって、自己都合という形でベリヤニノフの辞職が認められる。
(出所)各種ロシア語情報。
まず、2014年2月の出来事はプーチンのメドヴェージェフへの意趣返しという面をもっていたことが重要である。デニス・スグロボフは2011年に、当時のメドヴェージェフによる大統領令で内務省内の経済安全保障・腐敗対抗総局長に抜擢された。33歳であったという。といっても、メドヴェージェフ自身がスグロボフと知り合いであったとは言われていない。当時、内相だったラシド・ヌリガリエフもこの人事を気に入っていたというから、この人事は当初、ほんの小さな試みでしかなく、その後の展開がもたらす悲劇をだれも予想していなかったようだ。2011年6月、メドヴェージェフの同級生、ヴァレリー・コジョカリが内務省次官に就任したこともプラスに働いているかもしれない。だが、直接の後ろ盾とみられているのはスグロボフのことを以前から知っていたエフゲニー・シュコロフである。KGB出身の彼は2002年から当時、大統領府長官だったアレクサンドル・ヴォロシンの補佐官を務めるなどした後、2006年11月から内務省の経済安全保障部長になり、翌年に内務省次官に昇進した。2011年6月、メドヴェージェフによって解職されるまで内務省の幹部を務めていた(どうやら何事があったらしいが、ここでは割愛する)。
スグロボフは「作戦実験」(operative experiment)と呼ばれる、一種の「おとり捜査」を導入して、賄賂を誘発させて逮捕実績をあげて出世を急いだ。現に、複数いる内務省次官の一人に選任される直前までいったという観測があがるほど、「実績」をあげたのだが、そこには「無理」があったように思われる。「作戦実験」そのものに問題があったからである。
これは、麻薬犯罪捜査の手法を贈収賄に適用したもので、2008年末に作戦捜査活動法の改正によって反腐敗のために「作戦実験」なる手法が導入されることになった。この改正は内務省の経済安全保障部門(これが2011年に経済安全保障・腐敗対抗総局に再編されることになる)が主導したとされており、おそらくシュコロフが中心となって行われたものだろう。だからこそ、シュコロフを後ろ盾とするスグロボフは「作戦実験」を派手に展開したのである。しかも、最終的な「屋根」として身を守ってくれる人物として、大統領府に親戚と噂されたコンスタンチン・チュイチェンコ大統領補佐官や当時のメドヴェージェフ大統領がいたわけだから、彼は大胆に捜査にあたった。
だがその結果、資金洗浄などの不法行為にかかわる金融機関であるMaster-Bank やMagina groupなどの捜査の過程で、それがFSBの「縄張り」を侵すことにつながり、内務省とFSBとの関係悪化をもたらした。FSBでは、とくに経済安全保障サービス「K」局が金融関連犯罪を担当していたから、この部署との対立が激化した。
叩けばいくらでも埃が立つ
こうしたなかで、プーチンが再び大統領に返り咲くと、彼はすぐに奇妙な人事を行う。メドヴェージェフによって内務省次官を解任された後、軍産複合体「ウラル車輛工場」の会長職にあったシュコロフを2012年5月に大統領補佐官(公務員改革担当)として呼び戻したのだ。2013年6月からは、反腐敗検査全権代表として反腐敗の立場から公務員を監督する立場に就けた。他方で、2000年代はじめ、FSBサンクトペテルブルク総局経済安全保障サービスに勤務し、その後、国防相のポストにあったアナトリー・セルジュコフの顧問になっていたコロリョフは、セルジュコフの辞任(2012年)後、FSB内部安全保障サービスの長官に任命されることになる。
コロリョフとプーチンとの関係は不明だが、「シュコロフ-コロリョフ」とプーチンのラインがFSB内部安全保障サービスによるスグロボフ逮捕につながったことは確実だ。「作戦実験」で反腐敗実績をあげていたスグロボフらに鉄槌を加えることで、メドヴェージェフ大統領時代のやり方を変更しようとしたことになる(2)。
興味深いのは、プーチンもまた腐敗防止の重要性を認めており、スグロボフ逮捕後も、コロリョフらの「活躍」を促しているかのようにみえる点である。表からわかるように、ロシアの場合、「叩けばいくらでも埃が立つ」状況にある。コロリョフによる相次ぐ「成敗」はいわば下院選前のデモンストレーションとして、プーチンが反腐敗に真正面から取り組む姿勢を示す効果があった。だが、それだけでなくこうしたスキャンダルを契機に、プーチンはメドヴェージェフによって一時的に混乱した権力基盤を再建し、盤石なものにつくり替えようとしているかにみえる。
なにが起きているのか
まず、2016年1月15日付大統領令「ロシア連邦財務省の諸問題」を思い出す必要がある。これにより、財務省の管轄に、これまでの連邦税務局、連邦国庫局、連邦金融予算監督局に加えて、連邦アルコール市場規制局(2009年2月24日付政府決定によって農業省、財務省、連邦税務局、連邦料金局の後継機関として設立)や連邦関税局(2006年まで経済発展貿易省に属していたが、その後政府所管に移行)を置くと定められた。これは歳入源泉を管理する機関として財務省の役割を強化するねらいがあり、財政難から、歳入を厳格に徴収できるようにするものであった。2015年の末までに、フィンランドとロシアとの国境において、アルコール類などの関税をめぐって密輸問題がきわめて深刻な状況にあることはプーチンの耳にも入っていたことは確実だから、1月の大統領令は7月の事実上の連邦関税局長官解任への警告メッセージでもあったかもしれない。
連邦移民局や連邦麻薬取引規制局の年内廃止とその機能や全権の内務省への移行が2016年4月5日付大統領令によって定められた。同日付の別の大統領令で、連邦国家親衛隊局の設置も決定された。連邦執行機関として設立されるものであり、内務省軍17万人のほか、警官の一部20万人、特殊部隊や迅速対応部隊の3万人の計40万人ほどを同機関に移す計画だ。地方の管轄下にあった部隊を中央の管轄に移し、中央集権化をはかることで、テロ・組織犯罪・反政府活動などの取締りを徹底するねらいがある。2018年には新しい体制に移行する。この連邦国家親衛隊局の初代長官に任命されたのは、2000~2013年まで大統領の警護に従事する連邦警護局副長官兼大統領警護サービス長を務め、2013年9月に内務省軍副司令官、2014年5月、同司令官および内務省第一次官に就任していたヴィクトル・ゾロトフである。この再編により、大統領はいわば、直属の権力基盤を構築できることになる。
2016年5月に事実上、解任された連邦警護局長官エフゲニー・ムロフは2000~2016年まで連邦警護局長官を務めた大物だが、その後任にはドミトリー・コチニュエフ副長官が昇格した。他方で、内務省は連邦移民局や連邦麻薬取引規制局を内部に吸収ことで、内務省軍などの分離を補うことになる。
連邦予審委員会への一撃
FSB経済安全保障サービス長官に昇進したコロリョフが行なったロシア予審委員会傘下の省庁間相互行動・内部安全保障総局の指導者、ミハリル・マクシメンコの逮捕は耳目を集めた。なぜならマクシメンコはロシア予審委員会のトップで、プーチンとも親しいバストゥルイキンの右腕とされた人物であったからである。これは明らかにFSBによるロシア予審委員会への「挑戦」であり、バストゥルイキンへの警告とみなせる快挙であった。どうやらプーチンは、「友人であろうと、腐敗につながるような不正を行っている場合には容赦しない」というホイッスルを吹いたのかもしれない。この逮捕劇を契機に、連邦予審委の機能を弱体化させるために検察庁に予審機能を集中させようとの構想も浮上している。
連邦関税局長官のベリヤニノフの事実上の解任はプーチンのもう一人の友人、セルゲイ・チェメゾフ国家コーポレーション・ロシアテクノロジー(Rostec)社長を驚かせただろう。なぜならベリヤニノフはチェメゾフが主導してきた軍産複合体分野をともに歩んできたからである。
ヤクーニン放逐の意味
プーチンは2016年夏、旧友ウラジミル・ヤクーニンの処遇をめぐって腐敗する者たちへの明確な警告を発した。ヤクーニンは、2005年6月から2015年8月までロシア鉄道会社社長を務めていたが、この間に腐敗が蔓延していたことが知られている。
ヤクーニンがロシア鉄道を辞めるに至った経緯は複雑であった。最初に彼がカリーニングラード州選出の上院議員になるのではないかとの情報が出た後、結局、彼はこれを希望せず、ロシア鉄道社長の座を自らの意志で辞すことにしたようにみえる。だが、実際の理由は、「国家のもとに以前のような資金が国営企業向けになかったことにある」とみられている。ヤクーニンはつねに、ロシア鉄道の発展は支援なしには不可能であるとの立場をとってきたのだが、政府およびプーチン大統領は貨物料金を著しく引き上げずに従来の規模で社会的義務を遂行し、効率向上をはかることをロシア鉄道に求めはじめるようになったのである。ところが、ヤクーニンはこれに同意することができなかった。ゆえに、彼は事実上、辞めさせられたのだ。
ヤクーニンの経営下で、ロシア鉄道は腐敗だらけであった。ただし、これはロシア鉄道にかぎらず、ガスプロムにしても同じなのだが、ガスプロムの腐敗にはプーチンの私益が絡んでいるとみられ、そこでの腐敗撲滅は望むべくもない。
ヤクーニンの場合、彼自身が古くからの知り合いで銀行業に詳しいアンドレイ・クラピヴィンを2007年から顧問に据えた。クラピヴィンは「コンヴェルスバンク・モスクワ」として有名だった「都市商業銀行」の銀行家ゲルマン・ゴルブンツォフのパートナーでもあったから、ロシア鉄道の預金を都市商業銀行が預かることにつながった。この預金が後に支払い不能に陥り、問題化する。10億ドルの大金だ。クラピヴィンの息子、アレクセイと、彼のビジネスパートナーであるヴァレリー・マルケロフ、ボリス・ウシェロヴィッチ、ユーリー・オボドフスキーらはさまざまの形態でロシア鉄道の建設請負業者に選定され、巨利をあげた。たとえば、ロスジェルドルプラエクト(株式の75%はアレクセイ・クラピヴィン、マルケロフ、オボドフスキーの会社と関連する組織が所有し、25%はロシア鉄道)は2013~17年の鉄道施設プロジェクトのコンクールにおいて上限支出1500億ルーブルで落札企業となった。あるいは、この3人にウシェロヴィッチを加えた4人が保有する統一建設会社1520は他の2社とともにコンソーシアムの形態で、ロシア鉄道から279億ルーブルの契約を2014年10月に請け負った。バムストロイメハニザーツィヤという建設会社(その株式48%はオボドフスキーに属す)はバム鉄道とシベリア鉄道の改修にかかわる2014-17年のプロジェクト案件で2014年に437.9億ルーブルの請負契約を得た。
ヤクーニンにかかわる腐敗はまだまだある(詳しくはВедомости, Oct. 12, 2015を参照)。ここでは、ヤクーニンの活動を調べた内務省の資料がロシア予審委員会に引き渡されたという報道を紹介しておきたい(Ведомости, Jul. 14, 2016)。予審委は犯罪の裁判を立件するかの権限を有する機関であり、今後、立件が検討されることになる。これは、2015年8月のヤクーニン社長退任後に、腐敗闘争基金という、反腐敗のため2011年に反政府活動家アレクセイ・ナヴァーリヌイによって設立されたNGOが内務省にヤクーニンの腐敗を調べるよう求めたことに対応した動きだ。プーチンの旧友であるヤクーニンが立件されるとは思えないが、ロシアにも腐敗を監視するシステムがまがりなりにも機能しているのは事実である。しかも、すでに紹介したように、プーチンはコロリョフを通じて汚職捜査を継続しようとしているようにみえる。
「灰色」のチェメゾフ
おそらくいま現在、「第二のヤクーニン」と目されているのはチェメゾフだろう(3)。彼も腐敗している。コロリョフが本格的に捜査すれば、いくらでも「埃が舞いあがるだろう」。
彼への批判はまず、2015年はじめに500億ルーブルもの資産と380億ルーブルの欠損をもつ銀行「タヴリチェスキー」が救済された件に絡んでいる。救済の担当に銀行「国際金融クラブ」が選任されたのだ。同行の株主構成をみると、オネクシムグループの総帥ミハイル・プロホロフが27.7%、アレクサンドル・アブラモフやヴィクトル・ヴェクセリベルグが各19.71%、チェメゾフの妻エカテリーナ・イグナトワが13%強を有していた。救済のために、預金保険庁から全部で280億ルーブルもの支援が予定されており、銀行「国際金融クラブ」は巨利を得ることができる。なぜこの銀行が選ばれたかは不明だが、銀行「タヴリチェスキー」がもともとの大株主はオレーグ・ザハルジェンスキーで、彼は元国防省次官のグリゴリー・ナギンスキーと旧知の仲であった。このザハルジェンスキーや、エフゲニー・サモイロフ元上院議員の親戚が保有する投資会社「タヴリチェスキー」は軍事用との石炭の独占的供給者であった。同社はコミ共和国に投資し、「鉱山インター石炭」といった企業を支配していたのだ(4)。他方で、チェメゾフはロシア国防輸出の総裁だったこともある、ロシアの軍産複合体のドンだから、彼の国防人脈が銀行「国際金融クラブ」を救済者に選ばせたのではないかとみられている。
イグナトワの会社「カテ」が夫の関係する自動車メーカーAvtoVAZとの取引で利益を得ていたことは有名だ(Ведомосит, Jun. 29, 2016)。こんな過去があるからこそ、今度は銀行救済で利益を得ようとしているのではないかと疑われている。しかも、経営破綻した「ノタ銀行」の救済をめぐっても、チェメゾフが暗躍しているのではないかとの見方がある。なぜならノタ銀行の顧客に軍事関連企業が多いからである。
チェメゾフにとって残念なのは、このノタ銀行のケースは目立ちすぎたことである。というのは、2016年9月、巨額の現金が捜査で見つかるという話題に関連した銀行こそノタ銀行だからだ。
2016年9月、モスクワの裁判所の許可のもとで、内務省経済安全保障・腐敗対抗総局の燃料エネルギー部門の捜査をする部署の部長代行であったドミトリー・ザハルチェンコがロシア予審委員会、連邦保安局、内務省内部安全保障総局の職員によって収賄の容疑で逮捕された。彼の勤務先や自宅、父親や妹の自宅が捜査され、妹の家から200万ユーロと1億2000万ドルの合計約80億ルーブル分の現金が見つかった。前例のないような巨額の収賄事件が明らかになったことで、ロシア中の注目を集める事件となっている。
見つかったカネの一部は「ノタ銀行」から横領された260億ルーブルの一部であるとみられている。ザハルチェンコはノタ銀行の金融担当前取締役のガリーナ・マルチュコワと知り合いであり、その銀行資産の横領にザハルチェンコがかかわっていたとみられている。このノタ銀行には、プーチンの親友アルカジ・ローテンベルグの息子の支配下にある建設会社モストトレスト(父親が欧米の制裁リストに収載されたために株式を名義変更)や、同じくプーチンの親友ゲンナジ・ティムチェンコの支配する建設会社ARKSの資産が預けられていたほか、チェメゾフが社長を務めるRostecやミサイルメーカーの「アルマズ・アンテイ」も口座を開設していた。これだけをみると、プーチンとかかわりの深いチェメゾフらの資産が預けられていた銀行の資産横領によって、いわば間接的に彼らの資産が盗まれたことになるのだが、問題はそれほど単純ではない。
ザハルチェンコが通常、行っていたのは、ある特定の犯罪グループの「屋根」になることで報酬を得ることだった。2015年12月に、彼は複数のビジネスマンを庇護する報酬として700万ルーブルを受け取ったとされている。これとは別に、彼はノタ銀行で2015年に起きた横領事件の捜査資料にアクセスし、そこでマルチュコワと接触、彼女が2016年8月にノタ銀行の経営者で共同所有者であったドミトリー・エロヒンとその弟とともに逮捕される前に80億ルーブルを超す現金の保管を頼まれたのではないかとみられている。
問題のノタ銀行は2015年11月24日から中央銀行によってライセンスを取り消されており、同行の債権者の救済が課題となっていた。この救済担当者に、再び銀行「国際金融クラブ」が選任されれば、銀行「タヴリチェスキー」の救済のときと同じように、巨利を稼げる可能性があったのである。
破綻銀行支援ビジネス
だが、中央銀行や一部のマスメディアはすでに銀行救済を利用した不可解なビジネスがまかりとおっている事実に気づいている。たとえば、2013~15年に28行が救済されたのだが、国家の負担は1.5兆ルーブルにのぼったとみられている。サンクトペテルブルクの4銀行の救済だけで1280億ルーブルが費やされた。銀行「タヴリチェスキー」の救済をする銀行「国際金融クラブ」は健全化クレジットとして280億ルーブルを受け取ったし、574億ルーブルものクレジットを得たアルファ銀行が2014年8月からバルト銀行の救済を開始した。107.9億ルーブルを分与されたタトフォンド銀行によって2015年10月から銀行「ソヴェツキー」の救済がはじまった。さらに、323億ルーブルの支援を受けたアブソリュート銀行によってバルト投資銀行の救済が2015年12月から着手された。こうした銀行救済をすることで、銀行の破綻に乗じて、支援銀行側が巨利を得るというスキーム自体に問題があるとの認識が広がっている。
このため、預金保険庁が投資家を見つけたり、自ら救済したりして、救済対象は預金保険庁からのクレジットを受けたり、銀行に買収されたりするという現行スキームを、「銀行部門統合基金」が破綻銀行の株式を購入し、経営改善に乗り出し、健全化後に売却するというスキームに改めることが提案されている。こうすれば、恣意的に選ばれた支援銀行が利益をあげることができなくなる。
知事ポストを検証
プーチンは2016年2月、2015年12月に国防省次官になったばかりのアレクセイ・ジューミンをトゥーラ州知事代行に任命し、2016年9月、彼は正式な知事となった。1972年8月生まれの44歳。1995年に連邦警護局(FSO)に勤務しはじめ、FSO大統領警護サービス副長官に就任するなど、FSO畑の人物だ。前任のウラジミル・グルズデフは有名なスーパーマーケットチェーンである「第七大陸」の創設者の一人であり、2011年8月から知事を務めてきたが、2月に自己都合という形で知事を辞めた。背後には、当時、大統領府で内政担当を担当していたヴォロディン第一副長官との関係悪化などがあった。他方、新任のジューミンは軍産複合体の多い地域だけに、前述したRostecとも良好な関係を築いてきたという強みがある。
同年7月、権力濫用の疑いのあったセルゲイ・ヤストレボフ・ヤロスラヴリ州知事が自己都合で知事を辞めたことから、後任の知事代行に任命されたのは、ドミトリー・ミロノフだ。彼はスグロボフ逮捕後に、彼の就いていた内務省経済安全保障・腐敗対抗総局長に就任し、2015年12月には内務省次官に任命されていた。まだ48歳である。
キーロフ州のベリフ知事の逮捕後に、知事代行に任命されたのはKGB出身のイーゴリ・ワシリエフ(55歳)だ。2014年3月から2016年6月まで、連邦国家登録・不動産台帳・製図局長官を務めていた。ベリヤニノフ連邦関税局長官の後任はウラジミル・ブラヴィン(63歳)で、KGB・FSBに勤務し、FSB副長官まで登りつめた人物である。ブラヴィンは北西連邦管区ロシア連邦大統領全権代表を務めていたから、この人事異動に伴う玉突き人事で、北西連邦管区ロシア連邦大統領全権代表にカリーニングラード州知事のニコライ・ツカノフが任命された。知事の後任には、エフゲニー・ジニチェフカリーニングラード州FSB総局長(50歳)が知事代行として就任した。彼は2016年7月から10月まで、カリーニングラード州の知事代行を務めた。わずか70日で知事代行が辞めるという事態に至るのだが、家庭の事情というだけで実際になにが起きたのかは判然としない。後任の知事代行になったのはわずか30歳のアントン・アリハノフである。2013年から産業・商業省で勤務を開始し、2015年9月にカリーニングラード州政府の副首相に就任、2016年6月からは同州政府の首相代行を務めていた。
ほかにも、2016年7月28日の人事として、ニコライ・ロゴジキンシベリア連邦管区ロシア連邦大統領全権代表が解任され、セルゲイ・メニャイロ(56歳)が後任とされた。彼は、2004年ロシア連邦軍軍事アカデミー卒業後、ノヴォロッシースク軍事海洋基地第一副司令官、2005年黒海艦隊ノヴォロッシースク軍事海洋基地司令官、2009年5月30日、黒海艦隊副司令官を歴任。2014年4月14日、セヴァストーポリ市長に任命されていた。
こうした幹部人事は場当たり的な印象を与える。だが、FSBやFSOなどの合法的暴力装置機関の人材を活用しながら、自らの権力基盤を強化しようとするプーチンの意図が透けて見えてくる(5)。しかも、それは若手の抜擢という形をとっており、プーチン自身の2018年の大統領選後をにらんでいるように映る。
1990年代前半のサンクトペテルブルク時代の知己は次第に年をとっており、彼らにいつまでも依存できない以上、プーチンは新たな人材によって自らの権力基盤の再構築を迫られているのだ。
だが、ジニチェフカリーニングラード州FSB総局長がカリーニングラード州知事代行に任命されながら、わずか70日で辞任した事例は適材適所の人員配置が困難であることを如実に示している。
このようにみてくると、プーチンの権力基盤が決して盤石ではないことがわかるだろう。現状では、腐敗によって権力基盤が揺らいでいる。その改革に若い人材を登用して、2018年後に備える必要があるのだが、プーチンの思惑通りにはことは運んでいないようにみえる。腐敗を分析した拙著『官僚の世界史:腐敗の構造』で明らかにしたように、腐敗には「強いられた腐敗」があり、そこでは権力者による腐敗の強要がある。この腐敗を強要する者を逮捕によって排除しても、腐敗を強いるという構造を改めないかぎり、腐敗はなくならないだろう。そもそもプーチンをトップとするピラミッド型の権力構造こそ、人々に多くを強いていることを考慮すると、プーチンの支配下では腐敗はなくならないだろう。腐敗者の排除は一時的なガス抜きにしかすぎず、問題の本来的な解決にはならないのである。
プーチンは2018年後を見据えながら、結局、FSBの監視を通じた恐怖政治に頼るしかなくなるのではないか。そんな兆しが感じられる。その意味で、コロリョフが今後、どう活動することになるかはきわめて注目に値する。
日本官僚の罪深さ
このようにみてくると、ロシアではFSBの力がますます強まっているようにみえる。にもかかわらず、日本国政府の官僚はロシアの現実に対応するしっかりした態勢も未整備だし、そもそも分析力さえない(筆者の上級者向け分析と同レベルの内情分析を外務省幹部が持ち合わせているとは思えない)。その証拠に、プーチンの訪日を前に、ひたすら日ロ協力案件の具体的な積み上げばかりに奔走するだけだ(もちろん、こんなものは紙切れほどの価値もないことは明らかだろう)。その過程において、日本国民の生命・財産を守ることを第一義とすることさえ忘れられている。
筆者は2016年2月、モスクワでFSBによって拉致された。この事件については拙著『プーチン露大統領とその仲間たち:私が「KGB」に拉致された背景』で詳しくのべたとおりだが、不可思議なのはいま現在も日本政府は筆者に接触してこないことだ。つまり、日本人がモスクワでFSBに拉致されても、その事実確認をしないばかりか、ロシア側に厳重に抗議することさえできないというのが実情なのだ。唖然とするのは、日本人がモスクワで拉致されても、事件だとさえ思わないマスコミ人の人権意識の低さである(6)。そもそも筆者の本の存在さえ知らないというほど、バカそのものなのだ。
筆者が心ある国会議員であれば、今回の拉致事件を徹底的に追求し、二度と日本人が拉致されたり、スパイになるよう脅されたりしないように国会の場を活用するだろう。だが、そんな議員もいない(その昔、筆者は仙谷由人や菅直人などと謀議を企てたこともあった)。日本の政治家はそもそも、民間のビジネスマンが常に感じている拉致のリスクを減らす努力をしているかを自問自答してほしい。官僚はなにもしていないから、政治家にはこういった話はなにもしないだろう。そもそも、ここに紹介したようなロシアの内情さえ、だれも教えてくれないのではないか(それだけの能力ともつ官僚はいないと断言しておこう)。
さらに、ロシア側企業やロシア側官庁に内部化するFSB職員への対応などについて、対応をアドバイスできるような教育実践を準備しなければなるまい。信じがたいことに、ロシア企業にFSBが内部化している事実をまったく指摘していない企業統治の本が刊行されている(学者も官僚並にバカそのものと言える)。ロシアと経済協力を深めることは望ましいとしても、相手の事情について、もう少しきちんと教育したりアドバスしたりできるメカニズムが必要だろう。ロシア側の内実を日本のビジネスマンに正しく伝達できるメカニズムから構築しなければならないのだ(筆者は2017年3月3日、霞が関のロータリクラブで簡単な話をすることになっているのだが、ロシアの話の日本へのインプリケーションという形で伝達するつもりだ)。
こうした基本中の基本さえ気づかないまま、形だけのプーチン訪日への準備が進んでいる。困った事態が深刻化するばかりにみえてくる今日この頃だ。
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(1) 何度でも強調しておきたいことは、ウクライナ危機が米国によって煽動された事実である。米国政府の支援によって武装訓練を受けた過激なナショナリストらが民主的な選挙で選ばれて大統領職にあったヤヌコヴィッチを武力で追い落としたにもかかわらず、この武力クーデターを非難しないマスメディア、学者、政治家が世界中に跋扈している現実を人々は知らなければならない。米国政府の都合に合った正義だけが正義だというのであれば、そんな正義はいらない。拙著『ウクライナ・ゲート』、『ウクライナ2.0』を読めば、日本のマスメディアや学者、政治家の低劣さがわかるだろう(実名をあげて批判しておいた)。本当にバカだらけなのである。「恥を知れ」と心から叫びたい。そう言えば、学会長が剽窃をしていた学会に筆者も入っていることに最近になって気づいた。こんなバカだらけの学会は一刻も早く辞めなければならぬと思っている。
(2) 拙稿「プーチン訪日前のロシア情勢」でも指摘したように、メドヴェージェフ大統領、プーチン首相の4年間は、プーチンによる「院政」が行なわれていたわけではなく、むしろメドヴェージェフがプーチン路線を改めようとした時期であったと認識することが大切だ。大統領就任後3年たって、ようやく内務省内部にスグロボフを使ってメドヴェージェフの意向を反映できるようになったのだ。だが、内務省のスグロボフの「活躍」がFSBの縄張りを侵すようになったことで、FSBを支配してきたプーチン支持勢力はスグロボフを目の敵とするようになる。ゆえに、プーチン大統領復帰後、スグロボフは排除されてしまうのだ。もちろん、FSBによってだが、その排除を主導した人物こそコロリョフであり、その後、急速に権力を拡大するのである。
(3) 国防省に通信ナヴィゲーション設備を供給している、設計ビューロー「コンパス」の元社長、ムラド・サフィンおよび軍事企業「プロムポスタフカ」の元トップ、ルスラン・スレイマノフは2016年5月、予審官やFSB職員によって拘束された。2社ともにRostecの関連企業であり、Rostecから8億ルーブル強を横領した容疑がかけられている。チェメゾフ自身は被害を受けたRostec社長だが、社内に腐敗が蔓延している証と言えないこともない。
(4) コミ共和国にかかわる腐敗も根深い。事件の背後には、「ダッド」と呼ばれ、ソ連崩壊後13年間、コミ共和国のトップに君臨したユーリー・スピリドノフがいた。彼はコミ共和国閣僚会議第一副議長にウラジミル・トルロポフを任命し、トルロポフは組織犯罪グループのアレクサンドル・ザルビンを重用した。彼らはコミ社会銀行を設立し、これを基盤に「腐敗ネットワーク」を構築したのだ。ザルビンの副官で、同行の経営者となったのがガイゼルだ。他方で、プーチンとの親しい企業家ヴィクトル・ヴェクセリベルグのレノヴァグループ傘下のKESホールディングが改名したTプリュスという電力会社の元社長やレノヴァグループの幹部が贈賄側として逮捕されたことも注目に値する。コミのケースは各地域にある各電力会社が地方政府といかに癒着し腐敗しているかを示す先例であり、この件を足掛かりにして本格的に捜査すれば、ヴェクセリベルグはもちろん、他の多くの地域でも贈収賄事件を立件することが可能となるだろう。
(5) だからこそ、これらの機関に対外諜報局を加えて統合し、「国家安全保障省」を設立するのではないかとの観測が流れている。これはKGBの復活を意味するとの報道もあるが、KGBというよりも、ロシア革命と同時に生まれた「チェーカー」と呼ばれる組織の復活とみたほうが現実に近いかもしれない。1917年12月、人民コミッサールソヴィエトが反ボリシェヴィキのストライキやサボタージュに対抗するために「反革命・サボタージュとの闘争に関する人民コミッサールソヴィエト付属全ロシア非常委員会」が創設された。この組織はその後何度も名称変更するのだが、「チェーカー」と総称された。この「チェーカー」こそ、スターリンの権力基盤となった機関であり、今度はプーチンの機関になろうとしている。
(6) たとえば『テーミス』という雑誌に至っては、筆者に拉致事件にかかわる原稿を書かせ、掲載直前にまで至った原稿を最終的にボツにした。こんな不誠実なメディアだらけの日本に将来はないとだけ指摘しておこう。因みに、『Will』(2016年12月号)には、筆者のインタビューが掲載されているが、筆者がモスクワ特派員だった朝日新聞は取材にさえ来ない。ウクライナ危機に際して、大間違いの社説を何度も掲載してきたアホ集団だからなのか。筆者は私淑する井沢元彦が最近展開している辛辣な朝日新聞批判を踏襲するつもりはないが、他者に耳を傾ける程度の教育はしてほしいと切に願っている。せめて拙著『官僚の世界史:腐敗の構造』でも読んで、バカにならないための努力の必要性に気づいてもらいたいものだ。井沢が優れているのは学ぶ姿勢であり、朝日新聞のいまの多くの記者にはそれが感じられない。自らのバカさ加減に気づいていないのである。ゆえに勉強しない。筆者が偉そうなことを書いているのは、『官僚の世界史』を20年ほどかけて書き上げたからであって、そのために何千冊もの資料に教えられたからなのだ。本当にバカがバカに気づかぬままそこら中に増殖している。困った事態に茫然自失というところか。