11月7日(「古いスタイル」で10月25日)は、「10月革命記念日」です。この日をソ連の全市民が心待ちにしていました。なぜならこの日は、本質的にソ連の誕生日だったからです。この日モスクワの赤の広場では、いつも荘厳なパレードが開かれていました。
でも、この祝日を人生の大半で祝ってきた年配の人たちにとっても、11月7日は普通の日となってしまいました。
それでも赤の広場でパレードを行う伝統は残りました。どうしてモスクワ市当局はもう存在しない祝日を記念した厳粛な行進を催しているのでしょうか?それは、ある時から11月7日が、革命によって注目されただけでなく、戦争の最中かの1941年11月7日に行われたパレードによっても、ロシア史にとってとても重要なものとなったからです。
ドイツ軍がモスクワに接近し差し迫った時、ソ連指導部は、赤の広場で国家元首ヨシフ・スターリン出席の下でパレードを行うという極めてリスクの高い決断を下しました。これが兵士の士気に大きな影響を及ぼし、大勢の人が赤の広場からまっすぐ前線へ向かいました。歴史家たちはこのパレードが戦争の展開過程に及ぼした影響を、非常に重要な軍事作戦と同列に置いています。
2016年の行進は、この伝説的なパレードの75周年を記念したものでした。この日は風が強く、雪も降っていましたが、赤の広場には退役軍人たちが訪れました。その中には当時パレードに参加した人たちもいました。
パレードでは、誰もが知っているソ連時代の音楽が流されました。行進には合わせておよそ5000人の兵士が参加しました。また1941年の寒い秋にモスクワを防衛した約40台の歴史的な車両も赤の広場を走行しました。パレードの後、赤の広場には野外博物館が設置され、当時の軍用車両を間近で見ることができました。
アントン・シチコフ