アインシュタインは「ドストエフスキーは他のどんな思想家よりも多くのことを私に与えてくれた」と記している。とはいえドストエフスキーの大いなる精神は陰気さと混同されることが多い。ドストエフスキーの外見は痩せて神経質で狂ったようなまなざしととらえられることが多い。グレーの服をまとい、濃い煙草の煙の中に沈む作家の頭の中には「祖国は、我々はどうなるのだろうか?」という問いが渦を巻いているというように。だがここで史実と一致しているのは煙草の煙くらいだろう。ドストエフスキーは確かに恐ろしいほどの愛煙家だったが、それでも安物は決して吸わなかった。
ドストエフスキーは陰気な色合いを断固として認めなかった。妻のアンナの記述からもそれはわかる。「あの人は灰色は嫌いでした。だいたいはっきりしない色というのを受け付けませんでした。私のグレーのドレスをこういう色のペンキで柵を塗るもんだ、明るい緑色の服を作ればよいのにと言っていました。彼自身も幅広の色物のネクタイを結んでいました。それも特に鮮やかな赤がお好みでした。」
フョードル・ドストエフスキー(ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ画)
© Sputnik / Timofeev映画『白夜』のワンシーン
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映画『白夜』のワンシーン
© SputnikРепродукция картины из серии "Диалоги" по мотивам романа Ф.М. Достоевского "Идиот" работы художника Виталия Горяева.
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Репродукция картины из серии "Диалоги" по мотивам романа Ф.М. Достоевского "Идиот" работы художника Виталия Горяева.
© SputnikРусский писатель Федор Михайлович Достоевский (1821-1881).
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Русский писатель Федор Михайлович Достоевский (1821-1881).
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映画『白夜』のワンシーン
© Sputnik / I. NazarovКадр из кинофильма "Братья Карамазовы". "Мосфильм" 1968 год. Режиссеры Иван Пырьев Кирилл Лавров, Михаил Ульянов. В роли Алеши Карамазова - актер Андрей Мягков, Грушенька - Лионелла Скирда.
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© Sputnik / I. Nazarov
Кадр из кинофильма "Братья Карамазовы". "Мосфильм" 1968 год. Режиссеры Иван Пырьев Кирилл Лавров, Михаил Ульянов. В роли Алеши Карамазова - актер Андрей Мягков, Грушенька - Лионелла Скирда.
フョードル・ドストエフスキー(ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ画)
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Репродукция картины из серии "Диалоги" по мотивам романа Ф.М. Достоевского "Идиот" работы художника Виталия Горяева.
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Русский писатель Федор Михайлович Достоевский (1821-1881).
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Кадр из кинофильма "Братья Карамазовы". "Мосфильм" 1968 год. Режиссеры Иван Пырьев Кирилл Лавров, Михаил Ульянов. В роли Алеши Карамазова - актер Андрей Мягков, Грушенька - Лионелла Скирда.
ドストエフスキーは他の誰よりも相手を心から感嘆させ、深く思いめぐらせることができた。いや、これは今でも変わらない。寛容な心という問題についてドストエフスキーはどう書いていただろうか?「我々が民衆に信仰を教える? とんでもない。これについては民衆のほうがあなた方、全ヨーロッパに教えてくれますよ。」では今日の制裁や制裁への対抗策については「相手が、不足や破産など我々は恐れてはおらず、自分の意見を重視することがわかったら、今度はむこうのほうから金を差し出してくるでしょう。」作家の鋭いまなざしは数百年先をいく戦略的思考にまで到達することもあった。「敷く鉄道は2本だけでいいのです。1本はシベリア行き、もう1本は中央アジアへ向かう鉄道を。そうすればすぐに結果が出るでしょう。」驚くことに全ては彼の言葉のとおりになった。皇帝のプロジェクトであるシベリア横断鉄道とソ連政権の建てたトルキスタン・シベリア鉄道とバイカル・アムール鉄道が誕生したではないか。
ドストエフスキーはロシア全土の、そして世界中の読者を惹きつけた。日本でもドストエフスキーは殊更人気が高い。このことから日本の読者にとっては闇と否定を抜けて光に接近し、生きる意味を理解しようとするドストエフスキーの描く主人公らは近しい存在なのかもしれない。
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