筆者は「ちきゅう座」のサイトに「プーチン訪日前のロシア情勢」という論考を寄稿し、「12月の日ロ首脳会談では、うまくすれば「2島返還プラスアルファ」が決まることになるだろう」と書いた。きわめて楽観的な見方を示したことになる。これも、表面上は「一本負け」かもしれない。予想ははずれたかにみえる。安倍の政治力に期待していた筆者には誤算があったことになる。
だが、いずれの「一本負け」もあくまで「外ズラ」だけの話であって、その本当の評価は会談の中身を知らなければよくわからない。その意味で、安倍が実は勝利していた可能性も残されている。いわば「判定勝ち」をおさめたことになる。
「切り札」はあったのか
なにを言いたいのかというと、安倍が「切り札」を出したにもかかわらず、プーチンが袖にしたのであれば、そのプーチンの示した判断がむしろプーチン政権のかかえている脆弱性を露呈することになり、徐々にだが、プーチンの命脈が断たれる方向に向かう可能性が大いにあるからだ。
その「切り札」とは、「制裁解除」である。いまのタイミングで、「段階的制裁解除」といったものではなく、「即時全面的制裁解除」と言い出せば、プーチンはきっと喜んだだろう。事前にトランプ次期大統領とオバマ大統領、さらにメルケル首相の3人に話を通し、彼らを説得するだけの政治力が安倍にあれば、日ロ首脳会談の場で「即時全面的制裁解除」をちらつかせて、歯舞群島と色丹島についてプーチンの譲歩を引き出すことも可能であったかもしれない。
もしこの「切り札」を用意することなく、8項目提案だけで話を進めようとしていたのであれば、安倍およびその取り巻きは「バカ」そのものであり、プーチンによってまさに「袖つり込み足」できれいに投げ飛ばされたことになる。
トランプに政権が代わることで、いまこそ制裁解除をG7のなかで真っ先に言い出す絶好のタイピングと言える。政権交代がわかっている段階の制裁解除は簡単で、プーチンを大いに喜ばせることにはならないという意見もあるかもしれない。だが、政権が代わってもなかなか外交戦略が変わらない米国務省の内部事情について精通していれば、この決断が大いに国務省の幹部らを怒らせることになるのは確実だ。ゆえに、事前にこの話を説明し、納得してもらうには相当の政治力がいるとわかるだろう。
中国を抑え込むために、ロシアを日本側に近づけることが東北アジアの安全保障につながることを米国に説得する作業がぜひとも必要であったはずだ(このことは筆者の論考のなかですでに指摘してきた)。プーチンの反応次第で、もう一つ、ロシアが喜び、中国が嫌がる経済協力の目玉を用意しておけば、これでプーチンを「絞め技」よろしく落とせた可能性は十分にある。
だが、現実は目論見通りにはならなかった。
もし万が一、日本の「切り札」をプーチンが蹴ったとすれば、それはプーチンの脆弱性を示すことになるだろう。すでにこのサイトでも、「ちきゅう座」のサイトでも指摘したことだが、プーチンは国内に問題をかかえている。それを連邦保安局(FSB)の強権でねじ伏せようとしているのだが、不協和音があちこちから聞こえてくる。盤石にみえるプーチンだが、実際にはそうではないことは「ちきゅう座」とこのサイトの拙稿(「≪上級者向け≫プーチン政権の裏事情」や)で指摘済みである。だからこそ、どこかしらに不安を感じているプーチンは2島の「引き渡し」という、あまりダメージになるとは思えない決断さえできないという憶測を呼んでしまうことになる。
事実として、安倍がこの「切り札」を示したうえで、プーチンがこれを拒否したのだとすれば、この外交機密はすぐに世界中に知れ渡ることになり、プーチンの権力基盤に懐疑の目が向けられることになるだろう。筆者がこのサイトで指摘してきたFSBの内情について、不勉強でバカな日本の専門家もプーチン政権のかかえている問題点に遅ればせながら気づくことになるだろう。さらに遅れて、マスメディアも安直な報道の反省を迫られることになるのではないか。
対米配慮と対中配慮の差
この仮定が事実とすれば、プーチンは対中配慮をせざるをえないほど、中国に取り込まれているとの憶測も成り立つ。日本が対米配慮に凝り固まって、自主的な外交すらままならないことは周知の通りだが、ロシアはこれまで対中配慮をすることなく独自外交を展開するだけの権力を十分に持ち合わせてきたはずだった。だが、日本の提示した「切り札」を蹴ったとすれば、そこに対中配慮が働いたのではないかと勘ぐることが十分に可能だ。
これもすでに筆者の論考で明らかにしていることだが、2014年春以降のウクライナ危機の表面化後、ロシアは中国への傾斜を強めている。2015年11月、24機の新型戦闘機Su-35を中国に供給する契約が締結された。少なくとも20億ドル規模の大型商談だ。その最初のSu-35が2016年12月25日までに中国側に引き渡される。中国との間では、このほかに、2017年から納入が開始される防空システムS-400、6基の輸出も決まり、2015年の受注総額は50億ドル強となったとみられている(2014年に最初のS-400の契約が行われた)。いずれも中国が熱望していた比較的新しいロシアの軍備の輸出であり、ロシア側からすると、英断を下したことになる。
共同経済活動のリスク
最後に、「共同経済活動」のリスクについて警鐘を鳴らしておきたい。これは98%の確率で失敗するだろう。残りの2%は奇跡への期待値にすぎない。
なぜこう断言できるかというと、日本政府が日本国民の安全保障にまったくと言っていいほど、無関心であるからだ。過去に何度か、マスメディアで話したことだが、筆者は2016年2月、モスクワでFSBによって拉致された。この話をもとに、筆者の身の安全や他の日本国民が同じ目に合わないように日本国政府がなにかしてくれたかというと、驚くべきことにまったくなにもしてくれていない。
筆者はこの出来事についてだれに相談してらいいのかまったくわからなかった(もっとも親しかった西宮伸一中国大使は亡くなってしまった)。そこで、『プーチン露大統領とその仲間たち:私が「KGB」に拉致された背景』を刊行し、拉致事件の詳細を多くの読者に紹介した。にもかかわらず、日本政府のだれ一人として筆者に事情聴取すらしない。いま現在に至ってもである。だれが筆者を拉致したか、名刺まで拙著に載せているのに、日本国政府はロシア側に抗議すらできないでいるのだ。
この筆者の経験からわかるように、日本国政府は日本国民の安全保障などまったく考えていない。したがって、統治権や主権が判然としない北方領土で経済活動などできるわけがない。やりたいのであれば、自分で自衛するために警備員を雇うしかないだろう。
こんな日本国政府の実態がより多くの人々に知られるようになれば、ますます共同経済活動などリスクをとろうとする日本の民間企業家はいなくなるだろう。つまり、この話は絵に描いた餅であり、最初から失敗するに決まっているのだ。
ロシアが喜び、中国が嫌がるビジネス
プーチンが喜び、日本にとって望ましい経済協力とは、「プーチンが喜び、習近平が嫌がる」ものでなければならない。もちろん、そんなことはおくびにも出さずに、日ロがwin・winとなり、中国が地団太を踏むようなビジネスを見つけ出すことが重要なのだ。まあ、それがどんなビジネスかについてはここではふれない。こうしたところから、改めてじっくりと用意周到に準備して対ロ交渉に臨むしかないだろう。
最後に、この論考をぜひ、日本の新聞の社説やアホな専門家の話と読み比べてほしい。本当は自分でやろうと思ったが、自分の勉強にはならないし、『ロシアの最新国防分析(2016年版)』の執筆が忙しいのでやめた。どうか、ご自身でだれが信頼にたる専門家か、よーく見極めてほしい。