米国はトルコでのロシア大使殺害を受けてすぐに同情の意を表した。米国のこのような迅速な反応は、今回の事件が最近の歴史の中で前例のないものであることを示している。テロが単独犯だったのか、それとも共犯者がいたのかを明らかにしなければならないため、調査には長い作業が必要となる。だがすでに現在、犯人が叫んだ言葉により、警官だった犯人がメディアによるたくさんの反ロシア・プロパガンダの影響下にあったことは明白だ。アラブや西側の一連のマスコミの果てしなく続くプロパガンダは、様々な「宣伝活動家」として利用された。ロシア大使の死さえも、例外ではなかった。カルロフ大使の遺体が埋葬される前、ニューヨーク・デイリーニュース の時事解説者、ハーシュ・クンツマン氏は、トルコでのロシア大使殺害事件について、テロではなく、シリアでの「ウラジーミル・プーチン氏の罪に対する報復だ」との見解を表した。
クンツマン氏は、カルロフ大使について、大使はトルコでは外交官ではなく「兵士」だったとの考えを示し、そのためロシア大使のことで「涙が出ることはない」とし、大使が「アレッポ近郊の戦場、あるいはアンカラのギャラリー」のどこで命を落とそうとも、それは問題ではないとしている。また大使を殺害した人物もテロリストではなく兵士だと指摘している。なぜならテロリストはトラックでクリスマス市に突っ込んだり、飛行機で高層ビルに突っ込んで罪のない人々を殺害し、兵士は兵士を殺害するからだという。
これらのシニカルで恥知らずの発言は驚くべきものだ!このような記事をどのように捉えたらいいのだろうか?「スプートニク」は、著名な国際問題の専門家ゲオルギー・トロラヤ氏に問いかけてみた。トロラヤ氏はカルロフ大使と同じ大学で学び、卒業後もよい友人であり続けた。トロラヤ氏は、次のように語っている-
カルロフ大使は、トロラヤ氏と同じくコリア専門家として知られていた。カルロフ氏は東洋に精通しており、特に朝鮮半島に詳しかった。しかしなぜカルロフ氏の最後の勤務地はトルコだったのだろうか?トロラヤ氏は、次のように語っている-
「トルコはまったく彼が専門とする地域ではなかった。しかし彼は最も信頼されている外交官の一人だった。外務省上層部から大きな信頼を得ていた。そのため彼をトルコへ派遣することが決まった。アンドレイは熱意を持って働いた。それは彼の本来的な選択ではなかったが、実際に自分の義務を果たした。彼の友人やコリア専門家の同僚、私たちにとって、これは家族の死と同じだ。」
なおロシア大使館があるアンカラの通りは、アンドレイ・カルロフと名づけられることが分かった。