社会主義革命後の1929年、クリスマス、ロシア語で言うところの「ロジェストヴォー」の祝日は廃止され、通常の労働日となりました。ソ連の行なった反宗教キャンペーンでは通りを特別なパトロール隊が歩き、家々の窓をのぞきこんではクリスマスを祝う準備が行なわれていないかチェックが行なわれたものでした。クリスマスだけではありません。お正月までもが廃止されました。ところが1935年、お正月だけは再び祝うことが許可され、ロシア版サンタクロースの「冬おじいさん(ジェッド・マローズ)」やヨールカ(ツリー)、贈り物など従来のクリスマスになくてはならないこうしたアイテムが当局の指令によって全部「お正月」お祝いセットに入れられてしまったのです。
ソ連が崩壊した後、1991年にクリスマスは再び公式的な祝日として復活しました。とはいえ70年以上、数世代がソ連時代をすごしてきたため、祝いを迎えるにぎにぎしい気持ちやなにか不思議な素晴らしいことが起きるという期待感は大半の人にとっては今もなお「お正月」とソ連時代の習慣と結びついているのです。まさにこれが理由となって、今やお正月のご馳走など珍しいものでもどこでも買おうと思えば買えるにもかかわらず、旧ソ連人の心情ではまずは「オリヴィエ」サラダや「毛皮を着たニシン」サラダの材料、みかん、バター、フランスパン、オープンサンド用のサーモン、そしてデザートには何枚ものパイの層をカスタードクリームで挟み込んだ「ナポレオン」ケーキという標準メニューを買い込もうとするのです。前菜としては冷菜には魚や肉の煮凝りが、温菜では鴨のりんご添え、プラム入りの肉ロール、そして「フランス風肉料理」の名で知られる豚肉とじゃがいも、人参をチーズと玉ねぎで一緒に焼いたものが出されます。
こうして挙げてきました料理のなかから、一番伝統的なものはと聞かれたら、やはり「オリヴィエ」サラダでしょう。これはもうロシアのお正月料理を象徴する存在なので少し詳しくご紹介しますと、いろんなパターンがあるのですが「古典的」つまりソ連スタイルはソーセージを使います。ただしこの頃はソーセージの代わりにゆでたビーフ、チキンを使う事が増えました。「オリヴィエ」サラダは元旦のあとも2-3日食べ続けることが出来るようわざと大量に作られます。これもまた伝統といえます。外国人は「オリヴィエ」サラダの外見があまりおいしそうに見えないと敬遠する人も多いのですが、ロシア人にとってはやっぱり「オリヴィエ」サラダはお正月料理の目玉で様々な材料が見え隠れしている様子をチョコレートキャンディーに似ているとまで思うのです。
もうひとつ、お正月といえばこれ抜きでは考えられない「みかん」についてどうしてもお話しなければなりません。ロシアでは「お正月はみかんの匂いがする」という表現があります。これもソ連時代、お正月のテーブルを飾る果物といえばみかんが唯一の存在だったことからきているのです。品不足にもかかわらず、ソ連の時代はどの家庭もお正月までになんとかして薫り高いこのかんきつ類を手に入れようと躍起になったものでした。ソ連の南のアブハジアではちょうど12月にみかんが熟れるのです。今やお正月のテーブルには夏の果物であるはずの苺を飾ることだってできますが、それでも何世代もが育んできたお正月をみかんと迎える習慣はずっと大事なのです。
この他のロシアのお正月料理のレシピについてはインターネット上でも、またスプートニクのサイトでも紹介されています。どうぞ皆様も挑戦なさって、またそのご感想をお寄せくださると嬉しいです。よいお年をお迎えください!
ダリヤ・グリバノフスカヤ