「人生は続いていく!」
この展示会のオープン前日、ロシアでは恐ろしい事故が発生した。ソチからシリアに向けて飛び立ったロシア国防省の飛行機が墜落したのだ。犠牲者の中にはアレクサンドロフ・アンサンブルのソリストやロシア人ジャーナリスト、人権擁護団体のメンバーがいた。ロシアでは12月26日を服喪の日とすることが発表された。しかし、ロシア大使館の職員は予定されていたイベントを中止しないことに決め、そうすることによって犠牲者への敬意を示すことにした。というのも、開会の挨拶で在日ロシア大使のエヴゲーニー・アファナシエフ氏が述べたとおり、「人生は続いていく。だから、私たちが交流を継続し、両国関係を発展させていくことが極めて重要」だからだ。
「ロシア人とその心を理解したければ、必ずロシア・バレエを見るべきだ」
展示会「純粋なる芸術」は世界的に有名なマリインスキー劇場の日本初公演100周年を記念したものだ。日本の観客が初めてロシア・バレエの上演を見たのは1916年、第1次世界大戦のまっただ中のこと。当時、ロシアと日本は同盟国であり、両国は1915年以降、相互支援条約の締結交渉を進めていた。この条約は、窮地にあったロシアが戦争継続に必要な武器を日本から受け取れるようにするものだった。そのため、双方では、より信頼できる相互関係の樹立を促進すべく、経済および文化関係の構築に向けた行事が活発に行われていた。その政策の一環として、当時すでにディアギレフの「セゾン・リュス」で有名になっていた帝室マリインスキー劇場のバレリーナ、エレーナ・スミルノワとそのパートナーのボリス・ロマノフが日本大使の本野一郎子爵から日本公演に招待されたのだ。また、バレリーナのオリガ・オブラコワも同様の招待を受けた。
この3人のロシア人ダンサーの公演は1916年6月16、17、18日に東京の帝国劇場で行われた。日本の観客は初めてロシアのクラシック作品「白鳥の湖」「せむしの仔馬」「ラ・バヤデール」の上演を鑑賞した。日本で初めて偉大なるロシアの作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの音楽が演奏された。
日本側の答礼訪問は1916年9月に行われ、閑院宮載仁親王が帝国ロシアの首都を訪問した。ペテルブルグで親王はマリインスキー劇場で上演された「せむしの仔馬」に感激したという。高貴な客人の来訪を記念して、作品には「日本セクション」までもが追加され、そのセクションの音楽を日本屈指の作曲家、山田耕筰が作曲した。
ロ日関係や、後のソ日関係は歴史の中でさまざまな変遷を経たものの、日本人のロシア・バレエに対する愛は今も全く変わらない。マリインスキー劇場と日本の緊密な交流もまた、今に至るまで維持されたままである。
今回の東京での展示会は他に類を見ないものである。主催者であるマリインスキー劇場のエレーナ・モチャノワ氏とモスクワ言語大学のスヴェトラーナ・ミハイロワ教授が膨大な作業を行い、その結果、ロシア・バレエの愛好者は歴史文書や貴重な当時の写真を目にすることができるようになった。
「セゾン・リュス」の復活
現在、ロ日関係は重要な局面を迎えており、アファナシエフ・ロシア大使によると、100年前と同様に、「経済、文化、科学、人的交流、両国のマスコミ交流など、あらゆる分野の交流が極めて重要な意味を持っている」という。その点において、展示会「純粋なる芸術」は特別な意味を持っている。というのも、この展示会はこれまでロシア国外に出たことがないのだ。マリインスキー劇場で始まったこの展示会は、その後マリインスキー沿海州劇場で実施され、今回、日本の観衆にお披露目されることとなった。
アファナシエフ氏は展示会の開会挨拶の中で、今年12月の首脳会談以後、両国の文化関係にポジティブな傾向が見られることを指摘した。来年、日本では第12回ロシア文化フェスティバルが実施され、おそらく初めて「セゾン・リュス(ロシアの季節)」がプログラムに組み込まれる。日本はこの行事が行われる初めての国となる。このほか2018年が日本におけるロシア文化年およびロシアにおける日本文化年となることが発表され、その一環として、文化交流のみならず、スポーツ、科学、技術分野の交流、人的交流の拡大に至るまで、幅広いプログラムが実施される予定だ。