勤勉な日本人は、街頭やその他の公共の場で、座ったり横になったりすると、その場で、すぐに眠り込んでしまう。英国の写真家エイドリアン・ストーリー(Adrian Storey)氏は、そこに着目し、夕方になると、街は眠りが支配する場所に変わる事を、カメラを通じて明らかにした。地下鉄の席で居眠りをする人々、公園の階段やベンチ、芝生や木の下で、歩道の路上でさえまどろむ人々、それは、東京のビジネス街では、よく見られる光景である。
彼の写真は、仕事を終えた後、ときおり日本人が、文字通り、ぐったりして、通りでもどこでもその場で眠りに落ちている様子を映し出している。エイドリアン・ストーリー氏は、眠る日本人についての自分の作品を“Let the Poets”と名付けた。http://uchujin.co.uk/
仕事場における過重な負担は、ますます日本人にストレスをもたらし、若年性の心臓発作や、時には自殺の要因になっている。これはもはや社会現象であり、日本語では「過労死」という非常に具体的表現で表される。日本社会は、今日の日本人がしばしば「疲れた人々」と呼ばれるようになるほどに、過重な負荷に疲れ切っている。
ロシアでは、例えば、勤労者は誰でも、年に28日間(カレンダー上で)の休暇を取る権利が法律で認められている。そして彼あるいは彼女が、何らかの理由で突然残業となった場合、それに対して、代わりの休日がもらえれるか金銭上の保証がある。ロシアにおいては、そうした基準の監督は綿密に行われており、全体として残業は奨励されていない。もちろん、自分の労働時間内に仕事をすますことができず残業する、つまり単に十分な働き手ではないから、そうなるという意見もよくある。常に例外はあるものだ。例えば、まず第一にクリエイティブな仕事がそうだ。そうした仕事場では、人々は、インスピレーションの高まりに従って何昼夜でも働くことができる。しかし、こうした例外は稀である。
日本人に休暇の権利があることに、全く疑いの余地はない。それにもかかわらず日本人が、超過労働するのはすでに一つのノルマになっているのだ。その際彼らは、会社での勤続年数により決められた年10日から20日間の自分達の休暇を自主的に減らしている。休暇はあるが、現実では、定期的な残業により完全な休暇を取ることはできず、その事が、ストレスや心臓疾患、さらには自殺を呼び起こし、それは現在、日本政府の大きな心配の種となっている。
安倍首相は、日本人がもっと自由な時間を持ち、その時間を自分自身や家族、友人のために過ごすようになってほしいと述べた。しかし政府は、働く日本人にとってそうしたアプローチがプラスであるばかりでなく、日本経済にマイナスをもたらす可能性についても、当然考慮しなくてはならない。例えば残業は、どのくらい許されるべきかについて、100時間か80時間か、どちらが過労死につながるかで意見が分かれている。
そうした重要な問題の話し合いに、当の日本人がどのように参加しているのか? 働く者の意見が検討され考慮されているとの確信が、日本人にはあるのだろうか? 私は、そうした点に関心がある。もしあなたが、このブログをお読みになって何か御意見、御感想をお持ちなら、少しでも何か書いて頂ければ、筆者として嬉しい限りです。
タチアナ・フロニ