ロシアと日本は隣国であり、露日関係は150年の歴史を持っていますが、日本専門家という職業は今もとてもエキゾチックなものであり続けています。でもロシアでは年々心から日本を愛する若者たちが増えています。
ロシアにおける日本研究はいくつかの段階を経て発展しました。全ては教科書ではなくて自分たちの経験に基づいて日本を研究する愛好家たちの小さなグループから始まりました。ソ連時代、日本の研究は国家的に重要かつ大きな危険性を持つ問題でした。ソ連は全ての外国を敵とみなしていました。その国家体制が共産主義体制に敵対的で、自国の最も遠く、最も無防備な国境の近くにある理解しにくい日本はなおさらでした。1937年、優れた日本専門家の学者たちの多くがスパイの嫌疑をかけられて銃殺されました。またソ連が自国民を外国へ行かせることに消極的だったことに関連して、大勢の日本専門家が生涯にわたって日本を訪れることができませんでした。1990年代と2000年代初頭、日本の研究に取り組んだのは主に外交官たちでした。そして日本の文学、文化、歴史、哲学などに関心を寄せたのは、ほんのわずかな学者だけでした。
でもソ連崩壊後、新生ロシアは国境を開き、ロシアに他の国からの情報が押し寄せました。私の同年代の人たちの中で子供の頃に「ポケモン」あるいは「スタジオジブリ」が制作したアニメをみたことがない人は恐らくいないでしょう。多分これが、一身を日本の研究にささげようという新たな専門家たちの決意に部分的に影響したのではないかと思います。 このブログを書くにあたり日本専門家になろうと思ったきっかけや、大学卒業後に取り組んでいることについて友人たちに話を聞きました。
ユ―リア・マゲラ(マンガ研究者)
「2007年に私は欧州に行きました。そしてまったく偶然なんですが、ドイツの大学でマンガの小冊子を目にしました。それまではアニメしかみたことがなくて(2000年代初頭、ロシアのTVではアニメがよく放送されていた)、マンガについてはほとんど何も知りませんでした。マンガを手にした時、私はこの白黒のコミックのスタイルがすごく気に入りました。
そしてモスクワに戻ってきた私は、ある本屋さんでロシア語に翻訳された高橋留美子さんのマンガ『らんま1/2』と、矢沢あいさんの『プリンセス・アイ物語』を見つけたんです。すごくびっくりしました。これが私のターニングポイントになったと思います。そしてマンガの歴史を独学で勉強し始めました。レクチャーをしたり、会議で講演したり、大学の学年レポートを書いたりしました。2015年には私の監修で論文作品集『日露マンガ論:歴史・表現・サブカルチャー』が発行されました。いま私はマンガの研究を続けながら、モスクワのアニメ・マンガスクールで講義をしています」。
タイシヤ・コンパニエツ(日本語教師)
「日本語と出会う前に、ある出来事が起こりました。6歳の時に親の蔵書の中から、ロシア語に訳された日本の俳句の作品集『月の反射』を見つけたんです。これが私の知らない文化に触れた初めての経験で、この文化は一瞬にして私を魅了しました。大学で学んでいた時には、日記文学を研究しました。日記の作者とその登場人物の境界がどこにあるのかを知ることに興味がありました。私は藤原道綱母や和泉式部、夏目漱石、また(少なくともロシアでは)ほとんど知られていない高見順の日記を研究しました。今は日本語を教えています。たまに日本人観光客のガイドを務めることもあります。著名な作家、小川洋子の作品を翻訳しています。あとはお気に入りのソ連のアニメ映画の字幕の作業も好きです」。
現代のロシア人日本専門家たちは、国家のイデオロギーの枠にとらわれてはいません。彼らは先人の経験とあらゆる資料へのアクセス、そして日本への深い関心と愛情を持っています。もしかしたら彼らは、謎めいた日本を本当に理解し、これほど異なる私たちの文化の理解を向上させることができる、ロシアの学者たちの最初の世代かもしれません。
アナスタシヤ・フェドトワ