『ロシア革命一〇〇年の教訓』(20)

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今回は「第4章 ロシア革命の延長線上にあるもの」の第三節をご紹介しよう。これが本書紹介の最終回である。

第4章 ロシア革命の延長線上にあるもの

3 ユートピア思想の徹底を

ここで議論を整理するために、ユートピアについて考察している菊池理夫のユートピアの定義を紹介したい。「現実の社会に対する批判的意識から、それよりもすぐれていると思われ、かつ現実には存在しない諸制度を有する社会を、形式的には虚構的空間に設定して、全体的かつ具体的な像として提出する思考実験である」というのがそれである(菊池, 2013, p. 366)。この定義に従うと、ロシア革命もまた社会主義や共産主義のユートピアの実現のための運動であったと考えられる。

しかし、この社会主義や共産主義の思想に基づくユートピアには大きな問題点があった。それを指摘したのがアーレントである。ここで、百木漠の「アーレントのマルクス「誤読」をめぐる一考察:労働・政治・余暇」という興味深い論文に助けを借りよう。彼は、アーレントの仕事を、「アーレントは、「自由の王国」というマルクスの理想のうちに、西欧政治思想の伝統から継承された「労働と政治からの二重の解放」というユートピアを読み取り、このユートピアを強制的に実現しようとする試みが、全体主義支配というディストピアをもたらすと考えていた」と要約している(百木, 2014, p. 82)。この全体主義への危機意識こそアーレント思想の核心であり、「「労働と政治からの解放」というユートピア/ディストピアの傾向に抗い、「動物化」した近代人を生物的に「管理」する「無人支配」に代わって、人々の自律的な「活動」を政治のうちに取り戻すことこそが彼女の思想的課題であった」ということになる。

百木の難しい記述をわかりやすく言えば、マルクスは「労働からの解放」が階級や国家の廃棄につながり、「政治からの解放」をもたらすと考えていたということであり、アーレントは「労働からの解放」ではなく、人々の自律的な「活動」を通じて人々が政治にかかわるようにすることを希求したのである。なぜなら「労働からの解放」を無理やり行おうとするところに全体主義への傾斜が生じるからである。

労働を疑う

新約聖書のなかに、使徒パウロがテサロニケの信徒へ宛てた手紙がある。パウロの真正書簡であるかについては議論がある「手紙二」の第三章では、つぎのような記述がある。

「あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまず良い働きをしなさい」。

この教えは純化したかたちで修道士に受け継がれる。未開のヨーロッパを開拓するための修道士は引き籠って修行する場というよりも一種の工場である修道院で労働を神への奴隷的奉仕として行ったのである(関, 2016, pp. 22-23)。キリスト教は人間の生命を重視したから、その生命を維持するための労働が「聖なる義務」のように認識されるようになるのだ。

「Orare est laborare, laborare est orare」(オーラーレ・エスト・ラボーラーレ、ラボーラーレ・エスト・オーラーレ)、すなわち、「祈りは労働なり、労働は祈りなり」という言葉こそ、ベネディクト会のモットーであった。

修道士は「モナコス」と呼ばれていた。これはギリシャ語で「単独者」という意味で、そこで修道院はギリシャ語の「一人でいる(monástein)」から派生して「モナステリー」と呼ばれる。このモナコス、単独者としての修道士がヨーロッパの個人主義の原型であると、関曠野はのべている(同, p. 23)。どういう単独者としての個人であるのかというと、神の前に立つ裸の個人、徹底的に無力であって、神の恩寵を期待するしかない個人、そういう意味で社会資本も文化資本もすべて奪われた裸の個人としてあるという。しかも、無力さが強調され、無力であるがゆえに神の恩寵を願うしかない。ヨーロッパの個人主義の原型は徹底的に無力な個人なのだと関は説く。

問題は、近代ヨーロッパの個人主義がこの卑下に対する反逆という面をもつ点にある。そこから近代ヨーロッパの個人主義にみられる独特の攻撃性が出てくるのだ。個人は無力感に悩むがゆえに、一転して宇宙の支配者になろうとする。デカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)」では思考する個人は神にも似た世界の創造者になるという(関, 2016, p. 24)。こう考えると、労働にかかわる問題が実は、キリスト教そのものに深く関連するだけでなく、ヨーロッパの個人主義や、神にも似た立場からヨーロッパの思想を世界中に広めようとするその攻撃性にもかかわっていることがわかる。

こうした伝統のもとで、マルクスは『ゴータ綱領批判』(ドイツ労働者党綱領評註)のなかで、つぎのように書いた(Marx, 1975=1954=1977, p. 28)。

「共産主義社会のより高度の段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従事することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、諸個人の全面的な発展にともなって、また彼らの生産力も増大し、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち--そのときはじめてブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏みこえることができ、社会はその旗の上にこうこう書くことができる--各人はその能力におうじて、各人はその必要に応じて!」

人工知能と労働

まさに、労働に対する「こだわり」を強く感じる文章である。そうであるならば、マルクスが近年の人工知能(artificial intelligence, AI)の急発展を知るとすれば、必ずや目を見張り、新たなる思索に取り組むだろう。

AIにかかわる問題は多岐にわたる。ここでまず、松尾豊著『人工知能は人間を超えるか』を参考にしながら、ごく簡単にAIについて解説しておきたい(松尾, 2015)。AIの定義にはさまざまあるが、松尾に倣って、ここでは、「人工的につくられた人間のような知能」ということにしておこう(同, p. 44)。近年のAIの発展はトロント大学のジェフリー・ヒントンが中心になって開発した新しい機械学習の方法「ディープラーニング」(深層学習)の寄与による。

学習の根幹は「分ける」処理にあり、ある事象を「分ける」ことができれば、ものごとの理解や判断につなげることが可能となる(同, p. 116)。換言すれば、「分ける」作業は「イエスかノーかで答える問題」を提起し、その問題への正解率を上げることが学習することを意味する。機械学習はコンピュータが大量のデータを処理しながら、この「分け方」を自動的に習得する。いったん「分け方」を習得すれば、それを使って未知のデータを「分ける」ことができる。機械学習によって「分け方」や「線の引き方」をコンピュータが自ら見つけることで、未知のものに対して判断・識別、そして予測することが可能となる。ただし、その「分け方」を決定づける対象の特徴を定量的に表す「特徴量」をどう設計するかが問題になる。機械学習の精度を上げるには、「どんな特徴量を入力するか」にかかっている。それは人間が頭を使って考えるしかなかったのだが、多階層のニューラルネットワークという、神経細胞の情報伝達を模倣した仕組みを使って、特徴量をコンピュータ自らつくり出すことができるようになったのだ。

松尾の控え目な結論はつぎのようなものである(松尾, 2015, p. 173)。

「ディープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データをもとに何を特徴表現すべきか」をコンピュータが自動的に獲得することができる可能性を示している。簡単な特徴量をコンピュータが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。その特徴量を使って表わされる概念を獲得し、その概念を使って知識を記述するという、人工知能の最大の難関に、ひとつの道が示されたのだ」

こうして既存のさまざまの職業がAIに取って代わられる可能性が現実味を帯びている。二〇一三年九月、オックスフォード大学のカール・ベネディクト・フレイとマケル・オズボーンは、米国における仕事の四七%はコンピュータ化による職業代替のリスクにさらされていると主張する論文を公表した(Frey & Osborne, 2013, p. 44)。バンクオブアメリカ・メリルリンチの資料によれば、二〇二五年までの十年間の毎年の創造的破壊の影響は一四兆~三三兆ドルにのぼり、そのなかには、製造業や医療のコスト削減(八兆~九兆ドル)やAIが可能にする知的作業の自動化を通じた雇用コスト削減(九兆ドル)、自動化された自動車や無人機を通じた効率上昇分(一・九兆ドル)などが含まれている(Robot Revolution, 2015, p. 1)。ロボットは二〇二五年までに製造業の仕事の四五%(現在は一〇%)を担うようになるだろう。ロボットとAI市場規模は二〇二〇年までに一五三〇億ドル(ロボット関連で八三〇億ドル、AI関連で七〇〇億ドル)にのぼると予想される。

脚光を浴びるベーシック・インカム

多くの労働が自動化されるようになれば、当然、賃労働への報酬や労働者の別の仕事への転職が問題になる(The Economist, June 25th, 2016)。ベーシック・インカムとして当面の生活を守れる所得給付を受け取れるようになれば、就業訓練や高等専門教育などを通じて、別の職業への転職が容易になる。すでに指摘したように、ベーシック・インカムの思想は「働かざる者、食うべからず」という労働観ではなく、「働きたいけれども働けない者は食べてもよい」という考え方に基づいている。

この主張に対しては、労働せずにベーシック・インカムとして現金給付を受ける輩が増えるとの懸念が表明されるだろう。いわゆる「フリーライダー」と呼ばれる「ただ乗り」をする連中への批判が込められている。既存の社会福祉制度では、生活保護を不正に受給する者がいるし、失業保険を悪用する者もいる。やってもいない医療を請求して、診療費を不正にせしめる医者も後を絶たない。年金保険料を払い込まない者も実に多い。こうした不正を防止したり、監視したりするために莫大なコストをかけている現状を考えると、こうしたコストをいっさいなくし、ベーシック・インカムに移行したほうがすっきりするとの見方もできる。若干のフリーライダーが生じても、現状よりはましなのではないかとも思える。

ベーシック・インカムを支持したくなる最大の理由は「家事労働」の取り扱いにかかわっている。ギリシャ時代、家事労働はまさに労働として認識されていた。生活の私的領域である家族(オイキア)の領域は、なにものかを奪われている(deprived)状態を意味する私生活(プライヴァシー)として意識されていたのである(Arendt, 1958=1994, p. 60)。これはある場合には、人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態を意味し、私的生活だけを送る人間や、奴隷のように公的領域に入ることを許されていない人間、あるいは野蛮人のように公的領域を樹立しようとさえしない人間は完全な人間ではないとみなされたのである。そうした私的領域での家事労働こそ「労働」であったのだ。産業資本主義の勃興によって賃労働が増加すると、この労働力を売って賃金を稼ぐ者こそ労働者ということになり、家事労働は不払いの労働として一段と蔑まれるようになる。

こうした歴史的背景があったために、育児で忙しく外へ働きに出られない者を差別したり、児童手当を受給しながら子育てに専念せざるをえないシングルマザーに冷たい視線が向けられたりしてきたわけだ。ただ、家事労働こそ本来の労働であるとみなせば、家事労働に従事する者がベーシック・インカムを取得するのは当然のこととなる。賃労働に従事し不払い労働をしていない者のなかには、不払い労働に従事するだけで賃労働につけない者が自分と同額のベーシック・インカムを受け取るようになると、不満をもつようになる人がいるかもしれない。そのとき、思い起こしてほしいのは、妻に育児を任せきりにしている自分は妻のりっぱな労働に対するフリーライダーではないのかということだ。

LaborとWorkの区別

マルクスは「労働からの解放」を求め、それがロシア革命の原動力になった。だが、そもそもこの発想自体が間違えているのである。図式的に言えば、ギリシャ時代、生命を維持するための活動である労働(labor)は人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力で、生命の必要物、つまり、個体の生存と同時に種の継続にも必要なものを保護・保証する領域としての私的領域にある。他方、人間の非自然性に対応する活動力で、生命を超えて永続する「世界」をつくる工作物をつくる活動である仕事(work)は万人によって見られる公的領域において、こうした人間の工作物や人間の手が作った製作物に結びついている存在する。

アーレントが指摘するように、「労働」を意味するヨーロッパ語である、ラテン語と英語のlabor、ギリシャ語のponos、フランス語のtravail、ドイツ語のArbeitは苦痛と努力を意味しており、生みの苦しみを表わすのにも用いられる。Laborはlabare(「重荷でよろめく」と同じ語源であり、ponosとArbeitは「貧困」と同じ語源である(ギリシア語ではpenia、ドイツ語ではArmut)。ギリシア語はponeinとegazesthaiを区別し、ラテン語はlaborareとfacereあるいはfabricari--この二つは同じ語源をもつ--を区別する。フランス語ではtravaillerとouvrer、ドイツ語ではarbeitenとwerkenが区別されている。これらのすべての事例において、ただ「労働(レイバー)」に相当する語だけが苦痛とか困難という明白な意味をもっている。ドイツ語のArbeitは、もともと農奴によって行われた農業労働だけを指し、Werkといわれた職人の仕事には適用されなかった。フランス語のtravaillerは、それ以前のlabourerに取って代わったものであるが、一種の拷問であるtripaliumからきている。

労働の全面化

歴史が進むにつれて、労働は、隠れた場所から、それが組織され「分化される」公的領域へと連れ出された(Arendt, 1958=1994, p. 141)。私的領域に閉じ込められていた労働は分業を通じて、公的領域に「解放」されたかにみえる。しかしその過程で、公的領域にかかわってきた「仕事」は抑圧されて、労働と仕事との区別が薄れ、労働が全面化する。私的所有に基づく公的領域の再構築がはかられることになる。

ただ、ここで括目すべきなのは、中世における労働日の少なさである。アーレントによれば、中世、人びとは一年の半分以上も働かなったと計算されている(同, p. 221)。公的な祝祭日は百四十二日あった。労働日の恐ろしいほどの延長は産業革命の初期に特徴的であり、当時労働者は新しく導入された機械と競争しなければならなかったのである。だからこそ、モアに代表される初期のユートピア思想にあっては、労働は注目されなかったのである。

労働は、「労働するために食べ、食べるために労働しなければならない」という「強制的反復」である。キリスト教世界では、「働かざる者、食うべからず」の教えが聖なる義務としての祈りや労働と固く結びついていたから、労働のもつ強制的反復が労働による人間の束縛という発想につながり、その束縛からの解放という理想・希望をイメージさせることになる。「労働からの解放」が同時にキリスト教の否定を惹起する必然性は、宗教それ自体にあるというよりも、キリスト教が課してきた労働と祈りとの「聖なる義務」にあったと考えられる。

労働が全面化する過程は産業資本主義化の過程であり、社会主義や共産主義の思想に基づくユートピアの出現につながった。マルクスらのユートピアは「科学的」を僭称することで、「空想的ユートピア」を区別したが、実態は同じであった。「労働からの解放」といった安易で歴史的経緯を単純化した見方そのものに問題があったと指摘せざるをえない。別言すれば、目的そのものに対する議論が不十分という目的論的アプローチの陥穽に陥ってしまっているのだ。すでにのべたように、ユートピアがめざす目的にはさまざまあって、「労働からの解放」よりもモアの希求した「快楽」のほうがめざすべきものなのではないか。もちろん、その場合、快楽とはなにかということも問題になる。人間は生物なのだから、生存や種の保存に有利な行動は「快」と感じるようになっている。さらに、人間が社会的な動物である以上、ほかの個体が喜ぶと「快」と感じるような本能も埋め込まれていると思われる(松尾, 2015, p. 196)。

こうした快楽を多くの人々が感じ、平和に暮らせる世界を目的にすることと「労働からの解放」と、どちらが目的としてめざすに値するのだろうか。少なくともユートピアに向けた議論の徹底からはじめなければ、ロシア革命と同じ過ちを繰り返すだけではないか。

想像力に基づくユートピア構想 (割愛)

中国の理想郷 (割愛)

現実に近づく長寿 (割愛)

ユートピア思想の徹底化 (割愛)

[主な参考文献] (割愛)

本書の紹介を終えるにあたり、かみしめてほしいのは、「歴史」を知的に感得することの大切さだ。

21世紀の現在、Who, What, When, Which, Whereといった疑問詞のもつ意味はますます薄れている。これらの問いは時間や空間の一断面を問うだけだから、回答が簡単にできる。このため、日本ではこの問いに答えられるかどうかの学力が重視されてきた。だが、これらの問いはインターネット検索ですぐに答えを見出せる。これからは、AIによる代替を通じて、こんな問いかけは機械同士でやればすむことになるだろう。

大切なのはWhyとHowだが、前者は目的因を問うものであって、目的指向を推し進める。目的指向はデザイン指向につながり、人類に幸福も不幸もともにもたらしてきた。これを否定するつもりはないが、警戒しなければならない。

もっとも大切なのはHowという問いかけであると思う。こう問うことで、時間と空間の両面からのアプローチが可能となる。この複雑な問いかけはAIによる代替を難しくさせる。その意味で、Howを問うことこそもっとも人間的な思考につながる。21世紀後半には、人間の思考のうち、Who, What, When, Which, Whereにかかわる多くはAIによって代替されてしまうだろうが、Howにかかわる疑問をAIが代替することは不可能だろう。時間と空間の二つのかかわる複雑な思考はまだまだ機械にはできないからだ。

「歴史」という概念は日本人にとってWho, What, When, Which, Whereを想起させるだけのものであった。日本の歴史教育が著しく偏向しているからである。こんなバカな教育をつづけているから歴史が誤解されている。本当は、歴史はHowを基本に語られなければならない。歴史は時間と空間の概念の狭間で理解されなければならないのだ。歴史こそHowという問いかけのなかで形づくられるものであり、それはWho, What, When, Which, Whereという一断面を切り取るような問いかけをそもそも拒否すべきものなのだ。

ゆえに、ロシア革命もまたHowによって問われなければならない。「どのようにしてロシア革命なる概念が生まれたのか」や「どのようにしてロシア革命なる出来事は成功したのか」といった疑問をもち、それについて考えることこそ歴史を解釈することであり、歴史を構築することなのである。時間と空間の流れのなかで、さまざまな知性を動員しながら、そこでの出来事をどのように解釈するのか。そこに歴史が形づくられるのだ。

還暦を過ぎてみて痛感するのは、本当に教育は恐ろしいということである。そもそも「歴史概念はどのように形づくられるのか」という問いかけについて、日本の歴史学者はどれほど真剣に考えたことがあるのだろうか。法哲学や政治哲学といったかたちで、Howを意識した問いかけを重視する学問分野はあるが、いまの歴史学が歴史哲学といったかたちでHowを重視する考察を歴史学内部に内在させているとは思えない。その結果、歴史そのものがどのように形づくられるかという根本問題についてなにも知らないまま、Who, What, When, Which, Whereばかりを気にかける者が「歴史学者」になっているのは日本ではないのか。その結果、「似非歴史」が義務教育を通じて教え込まれることになる。まあ、他国も似たような状況にあるのかもしれないが、こうした似非歴史を覚え込まされる側にとっては苦痛であり、時間の無駄だろう。

筆者は、『ロシア革命100年の教訓』を書きながら、Howを意識しながら歴史を見つめ直そうとした。いま現在、筆者と同じような視角をしっかりともっているのは井沢元彦であり、出口治明であると思う。前者は『逆説の日本史』の筆者であり、後者は『週刊文春』に「0から学ぶ「日本史」講義」を連載されている。こうした人々の歴史観を学ぶなかで、各人が各人の歴史を感得すること。まずはそこからはじめることが第一歩なのである。

 

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