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昨年12月21日におじと2人で他の漁船と共にフィリピン南部セレベス海を出発したが、1月10日嵐で母船とはぐれ、その5日後には燃料が切れた。
オモンゴス氏によると、「毎日少なくとも4隻もの船が近くを通って行った。僕は手を振ったけれど、どの船もまったく止まらなかった」。
おじのレニエル・オモンゴス氏は飢えと熱射のせいで、遭難してから1ヶ月後に死亡した。AFP通信が報じたところによると、オモンゴス氏はおじの遺体を数日間、自分のボートにとどめていたが、腐敗してきたため海に流したという。
オモンゴス氏は乗っていたのは全長2.5メートルの小型ボート。食べ物として船体に生えてくるコケを食べ、強い日差しを避けるために頻繁に海中へ潜ったという。
漂流の58日間後に「Wakaba Maru」という日本の漁船に発見された。発見された時にオモンゴス氏は非常に衰弱し、体重は20キロ台まで落ちてやせ細っていた。
オモンゴス氏は救出した後、「やっと助けられたときは、泣きやまなかった。弱りすぎて立てなかったので、運び出してもらわなければならなかった」と述べた。