『ロシアの最新国防分析 (2016年版)』(3)

© Sputnik / Ramil Sitdikov『ロシアの最新国防分析 (2016年版)』(3)
『ロシアの最新国防分析 (2016年版)』(3) - Sputnik 日本
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拙著『ロシアの最新国防分析 (2016年版)』(Kindle版)の第3回目、序章「権力の内幕」の第2節を紹介してみたい。

序章 権力の内実

2. プーチンとメドヴェージェフの「対立」

プーチンとメドヴェージェフとの暗闘については、これまであまり考察されてこなかった。だが近年、両者の間には、犯罪の捜査や立件をめぐって大きな権力上の相克が存在したことがわかっている。筆者は拙著『ネオKGB帝国』の第2章「捜査・予審機関」の分析において、権力者が自らの権力を盤石にするために、自らに近い人物を検察庁や予審委員会のトップに就けようとしてきたことを分析した。あるいは、連邦保安局(FSB)と内務省内の予審機関、さらに検察当局との暗闘などを紹介した。「トゥリ・キタ」事件と呼ばれる家具の密輸事件がFSBの仕業でありながら、そのもみ消しを画策したニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)やウラジミル・ウスチノフ検事総長らの不正が繰り返されるなかで、ウスチノフ検事総長とユーリー・チャイカ司法相が交代するという異例な人事が2006年6月に行われた。これを契機に検事総長の権限縮小のために、検察庁付属予審委員会が2007年6月の検察庁予審委員会設置法の制定および刑事訴訟法典と検察法の修正に基づいて、検察庁内にあった予審総局や軍検事局を統合した組織として9月からスタートした。やがて、2010年12月28日付連邦法「ロシア連邦予審委員会」が2011年1月15日に施行となり、ロシア連邦予審委員会がこの検察庁予審委員会をもとに形成された。こうすることで、メドヴェージェフ大統領(当時)は自らの権力の伸長をはかった。

その具体例が、2011年、メドヴェージェフによる大統領令で内務省内の経済安全保障・腐敗対抗総局長に抜擢されたデニス・スグロボフだ。まだ33歳の彼の抜擢を後押ししたのはおそらくスグロボフのことを以前から知っていたエフゲニー・シュコロフであろう。KGB出身の彼は2002年から当時、大統領府長官だったアレクサンドル・ヴォロシンの補佐官を務めるなどした後、2006年11月から内務省の経済安全保障部長になり、翌年に内務省次官に昇進した。2011年6月、メドヴェージェフによって解職されるまで内務省の幹部を務めていた(どうやら何事があったらしいが、ここでは割愛する)。

スグロボフは「作戦実験」(operative experiment)と呼ばれる、一種の「おとり捜査」を導入して、賄賂を誘発させて逮捕実績をあげて出世を急いだ。現に、複数いる内務省次官の一人に選任される直前までいったという観測があがるほど、「実績」をあげたのだが、そこには「無理」があったように思われる。「作戦実験」そのものに問題があったからである。

これは、麻薬犯罪捜査の手法を贈収賄に適用したもので、2008年末に作戦捜査活動法の改正によって反腐敗のために「作戦実験」なる手法が導入されることになった。この改正は内務省の経済安全保障部門(これが2011年に経済安全保障・腐敗対抗総局に再編されることになる)が主導したとされており、おそらくシュコロフが中心となって行われたものだろう。だからこそ、シュコロフを後ろ盾とするスグロボフは「作戦実験」を派手に展開したのである。しかも、最終的な「屋根」として身を守ってくれる人物として、大統領府に親戚と噂されたコンスタンチン・チュイチェンコ大統領補佐官や当時のメドヴェージェフ大統領がいたわけだから、彼は大胆に捜査にあたった。

だがその結果、資金洗浄などの不法行為にかかわる金融機関であるMaster-Bank やMagina groupなどの捜査の過程で、それがFSBの「縄張り」を侵すことにつながり、内務省とFSBとの関係悪化をもたらした。FSBでは、とくに経済安全保障サービス「K」局が金融関連犯罪を担当していたから、この部署との対立が激化した。

こうしたなかで、プーチンが再び大統領に返り咲くと、彼はすぐに奇妙な人事を行う。メドヴェージェフによって内務省次官を解任された後、軍産複合体「ウラル車輛工場」の会長職にあったシュコロフを2012年5月に大統領補佐官(公務員改革担当)として呼び戻したのだ。2013年6月からは、反腐敗検査全権代表として反腐敗の立場から公務員を監督する立場に就けた。他方で、2000年代はじめ、FSBサンクトペテルブルク総局経済安全保障サービスに勤務し、その後、国防相のポストにあったアナトリー・セルジュコフの顧問になっていたコロリョフは、セルジュコフの辞任(2012年)後、FSB内部安全保障サービスの長官に任命されることになる。そしてすぐに、表I-1「近年の「合法的暴力装置」をめぐる出来事」に示したように、メドヴェージェフの息のかかったスグロボフらは逮捕された。これは、プーチンによるメドヴェージェフへの「意趣返し」と言ってもいいだろう。

コロリョフとプーチンとの関係は不明だが、「シュコロフ-コロリョフ」とプーチンのラインがFSB内部安全保障サービスによるスグロボフ逮捕を主導したことは確実だ。「作戦実験」で反腐敗実績をあげていたスグロボフらに鉄槌を加えることで、メドヴェージェフ大統領時代のやり方を変更しようとしたことになる。

興味深いのは、プーチンもまた腐敗防止の重要性を認めており、スグロボフ逮捕後も、コロリョフらの「活躍」を促しているかのようにみえる点である。表I-1からわかるように、ロシアの場合、「叩けばいくらでも埃が立つ」状況にある。コロリョフによる相次ぐ「成敗」はいわば下院選前のデモンストレーションとして、プーチンが反腐敗に真正面から取り組む姿勢を示す効果があった。だが、それだけでなくこうしたスキャンダルを契機に、プーチンはメドヴェージェフによって一時的に混乱した権力基盤を再建し、盤石なものにつくり替えようとしているかにみえる。


表I-1 割愛


なにが起きているのか

まず、2016年1月15日付大統領令「ロシア連邦財務省の諸問題」を思い出す必要がある。これにより、財務省の管轄に、これまでの連邦税務局、連邦国庫局、連邦金融予算監督局に加えて、連邦アルコール市場規制局(2009年2月24日付政府決定によって農業省、財務省、連邦税務局、連邦料金局の後継機関として設立)や連邦関税局(2006年まで経済発展貿易省に属していたが、その後政府所管に移行)を置くと定められた。これは歳入源泉を管理する機関として財務省の役割を強化するねらいがあり、財政難から、歳入を厳格に徴収できるようにするものであった。2015年の末までに、フィンランドとロシアとの国境において、アルコール類などの関税をめぐって密輸問題がきわめて深刻な状況にあることはプーチンの耳にも入っていたことは確実だから、1月の大統領令は7月の事実上の連邦関税局長官解任への警告メッセージでもあったかもしれない。

連邦移民局や連邦麻薬取引規制局の年内廃止とその機能や全権の内務省への移行が2016年4月5日付大統領令によって定められた。同日付の別の大統領令で、すでに紹介した連邦ナショナルガード局(連邦国家護衛局)の設置も決定された。連邦執行機関として設立されるものであり、内務省軍17万人のほか、警官の一部20万人、特殊部隊や迅速対応部隊の3万人の計40万人ほどを同機関に移す計画だ。地方の管轄下にあった部隊を中央の管轄に移し、中央集権化をはかることで、テロ・組織犯罪・反政府活動などの取締りを徹底するねらいがある。2018年には新しい体制に移行する。この連邦国家護衛局の初代長官に任命されたのは、2000~2013年まで大統領の警護に従事する連邦警護局副長官兼大統領警護サービス長を務め、2013年9月に内務省軍副司令官、2014年5月、同司令官および内務省第一次官に就任していたヴィクトル・ゾロトフである。この再編により、大統領はいわば、直属の権力基盤を構築できることになる。

2016年5月に事実上、解任された連邦警護局長官エフゲニー・ムロフは2000~2016年まで連邦警護局長官を務めた大物だが、その後任にはドミトリー・コチニュエフ副長官が昇格した。他方で、内務省は連邦移民局や連邦麻薬取引規制局を内部に吸収ことで、内務省軍などの分離を補うことになる。

連邦予審委員会への一撃

FSB経済安全保障サービス長官に昇進したコロリョフが行なったロシア予審委員会傘下の省庁間相互行動・内部安全保障総局の指導者、ミハリル・マクシメンコの逮捕は耳目を集めた。なぜならマクシメンコはロシア予審委員会のトップで、プーチンとも親しいバストゥルイキンの右腕とされた人物であったからである。これは明らかにFSBによるロシア予審委員会への「挑戦」であり、バストゥルイキンへの警告とみなせるものであった。どうやらプーチンは、「友人であろうと、腐敗につながるような不正を行っている場合には容赦しない」というホイッスルを吹いたのかもしれない。この逮捕劇を契機に、連邦予審委の機能を弱体化させるために検察庁に予審機能を集中させようとの構想も浮上している。

連邦関税局長官のベリヤニノフの事実上の解任はプーチンのもう一人の友人、セルゲイ・チェメゾフ国家コーポレーション・ロステク(Rostec)社長を驚かせただろう。なぜならベリヤニノフはチェメゾフが主導してきた軍産複合体分野をともに歩んできたからである。

ヤクーニン放逐の意味

プーチンは2016年夏、旧友ウラジミル・ヤクーニンの処遇をめぐって腐敗する者たちへの明確な警告を発した。ヤクーニンは、2005年6月から2015年8月までロシア鉄道会社社長を務めていたが、この間に腐敗が蔓延していたことが知られているからだ。

ヤクーニンがロシア鉄道を辞めるに至った経緯は複雑であった。最初に彼がカリーニングラード州選出の上院議員になるのではないかとの情報が出た後、結局、彼はこれを希望せず、ロシア鉄道社長の座を自らの意志で辞すことにしたようにみえる。だが、実際の理由は、「国家のもとに以前のような資金が国営企業向けになかったことにある」とみられている。ヤクーニンはつねに、ロシア鉄道の発展は政府の支援なしには不可能であるとの立場をとってきたのだが、政府およびプーチン大統領は貨物料金を著しく引き上げずに従来の規模で社会的義務を遂行し、効率向上をはかることをロシア鉄道に求めはじめるようになったのである。ところが、ヤクーニンはこれに同意することができなかった。ゆえに、彼は事実上、辞めさせられたのだ。

ヤクーニンの経営下で、ロシア鉄道は腐敗だらけであった。ただし、これはロシア鉄道にかぎらず、ガスプロムにしても同じなのだが、ガスプロムの腐敗にはプーチンの私益が絡んでいるとみられ、そこでの腐敗撲滅は望むべくもない。

ヤクーニンの場合、彼自身が古くからの知り合いで銀行業に詳しいアンドレイ・クラピヴィンを2007年から顧問に据えた。クラピヴィンは「コンヴェルスバンク・モスクワ」として有名だった「都市商業銀行」の銀行家ゲルマン・ゴルブンツォフのパートナーでもあったから、ロシア鉄道の預金を都市商業銀行が預かることにつながった。この預金が後に支払い不能に陥り、問題化する。10億ドルの大金だ。クラピヴィンの息子、アレクセイと、彼のビジネスパートナーであるヴァレリー・マルケロフ、ボリス・ウシェロヴィッチ、ユーリー・オボドフスキーらはさまざまの形態でロシア鉄道の建設請負業者に選定され、巨利をあげた。たとえば、ロスジェルドルプラエクト(株式の75%はアレクセイ・クラピヴィン、マルケロフ、オボドフスキーの会社と関連する組織が所有し、25%はロシア鉄道)は2013~17年の鉄道施設プロジェクトのコンクールにおいて上限支出1500億ルーブルで落札企業となった。あるいは、この3人にウシェロヴィッチを加えた4人が保有する統一建設会社1520は他の2社とともにコンソーシアムの形態で、ロシア鉄道から279億ルーブルの契約を2014年10月に請け負った。バムストロイメハニザーツィヤという建設会社(その株式48%はオボドフスキーに属す)はバム鉄道とシベリア鉄道の改修にかかわる2014-17年のプロジェクト案件で2014年に437.9億ルーブルの請負契約を得た。

ヤクーニンにかかわる腐敗はまだまだある(詳しくはВедомости, Oct. 12, 2015を参照)。ここでは、ヤクーニンの活動を調べた内務省の資料がロシア予審委員会に引き渡されたという報道を紹介しておきたい(Ведомости, Jul. 14, 2016)。予審委は犯罪の裁判を立件するかの権限を有する機関であり、今後、立件が検討されることになる。これは、2015年8月のヤクーニン社長退任後に、腐敗闘争基金という、反腐敗のため2011年に反政府活動家アレクセイ・ナヴァーリヌイによって設立されたNGOが内務省にヤクーニンの腐敗を調べるよう求めたことに対応した動きだ。プーチンの旧友であるヤクーニンが立件されるとは思えないが、ロシアにも腐敗を監視するシステムがまがりなりにも機能しているのは事実である。しかも、すでに紹介したように、プーチンはコロリョフを通じて汚職捜査を継続しようとしているようにみえる。

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