このセミナーは日本センターが初めてロシア保健省との共催で開催したもので、医療の国際展開に詳しい東京大学大学院医学系研究科の田倉智之教授が、医療機関の管理手法やサービスの向上に関する講義を行った。田倉教授は、「患者の満足度を上げるには、あらかじめ彼らの期待値を把握し、それを上回る結果を出すこと」「満足度を形成するのは有形無形の総合的な要因」であると指摘し、日本の医療現場でのカイゼンの例を紹介するとともに、組織内での役割分担(チーム医療)の重要性について強調した。
ロシアでは、健康に対する意識が高い人もいるが、喫煙や過度の飲酒がやめられない人もいる。特に男性の平均寿命は日本人と比べて短く、約66歳だ。個人の悪習に起因する病気を予防しようとすれば、患者の生活習慣の自由を制限することになる。もし医療をサービスと捉えるならば、顧客(患者)の満足度は下がってしまう。このジレンマに悩む予防医学の専門家に対し、田倉教授は「患者の自由を制限して患者に嫌われても、やるべきことをやり、プロフェッショナルの視点から進めていくことは最も価値がある」とアドバイスした。
さてロシアの国公立病院といえば基本的に悪名が高く、日本人駐在員はまず近づかない。モスクワに関して言えば、ヨーロッパメディカルセンターやアメリカンメディカルセンターなど、欧米系の私立病院を利用する人が多いようだ。ロシア国民であれば地域病院で無料で診察・治療してもらえるが、富裕層の中には保険を購入して私立のクリニックに通う人も増えている。お金を払ってまでも私立病院を選ぶのは、待ち時間が長い・手続きが煩雑・医師の資質や診療の質に疑問があるなどの理由によるものである。
しかしコムソモーリスカヤ・プラウダ紙によれば、ヤロスラヴリのカイゼンの結果はすぐさま大成功とは言えないようだ。特に、今まで何もかも紙とボールペンですませていた人々にとって急激なIT化は大きな衝撃であり、ある病院では年配の内科医が2人も退職してしまった。いっぽう、「一本指」でなんとかキーボードを打っている医師もおり、データの打ち込みに必死で患者に割く時間がなくなるという皮肉な結果を招いた。患者の方も年配者が多く、システムの急激な変更についていけていないようだ。かつては黒板に書かれていた医師の勤務時間表がすべて電子モニターに表示されるようになり、字を読むのが間に合わないというクレームが届いている。また、予約のための新サイトの使い方がわからず、コールセンターに電話が殺到し、対応しきれていないという。移行に伴う混乱は、まだしばらく続きそうだ。
田倉教授は「医療のカイゼンに関しては、日本もロシアも本質的なところは変わりません。しかしカイゼンの実行となると、地域特性や文化などの様々な要素がありますので、ロシアの方々が試行錯誤しながらそれぞれに合った方法を作っていただければと思います。また、それがフィードバックされて日本の次のカイゼンの参考になれば良いと思います。ロシアの病院は、まずは臨床のカイゼンに興味があるということがわかりましたが、将来的には、病院経営という観点からのカイゼンに移行していかざるを得ないでしょう」と話している。