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1.リトルボーイ(小さな男の子)
実験ではなく戦争目的で使用された最初の原子爆弾が、米国の「リトルボーイ」だ。1945年8月6日に投下され、日本と米国の戦争の決定打となった。18キロトンの威力を持つリトルボーイのせいで、広島の14万人もの人が犠牲になった。
2.ファットマン(太った人間)
ファットマンは、リトルボーイに続き、米国が日本に投下した、二番目に実戦で使用された原爆だ。長崎の市民達がこの原爆、21キロトンの威力の犠牲になり、8万人もの命が一瞬にして奪われた。その後、3万5千人が後遺症で亡くなった。ファットマンは現在に至るまで、実戦で使用された、人類史上で最も威力の大きい原爆である。
3.ベーカー
ベーカーは、戦争が終わってから、米国が実験した3つの原爆のうちのひとつである。ベーカーは、1946年の「クロスロード作戦」に参加し、世界に初めての核のカタストロフィーをもたらした。核実験が行われたビキニ岩礁は生存には適さず、2010年まで無人島だとみなされていた。核爆弾実験は、艦船や実験用動物への影響を確かめるために行われた。
4.キャッスルブラボー(エビTX-21)
キャッスルブラボーは、米国が実験を行った核爆弾の中で最も威力の大きいものである。実験は1954年の3月に行われ。不可逆的な結果を招いた。15メガトンの大爆発は原子力汚染の原因になった。マーシャル諸島に住む何百人もの人が被爆した。きのこ雲は40キロメートルの高さにまでのぼり、爆発の直径は100キロメートルとも言われた。この爆発は海底に直径2キロもの巨大なクレーターを生み出した。この実験がもたらした結果は甚大だったため、核爆弾実験作戦を行う制限の原因ともなった。
5.ツァーリ・ボンバ(АН602)
ツァーリ・ボンバは、歴史上、単一兵器として、世界で最も威力の大きいソ連の核爆弾である。弾は8メートル、直径は2メートルに及び、1961年にノーバヤ・ゼムリャで実験が行われた。当初この爆弾は100メガトンの威力を備える予定だったが、あまりにも世界規模に破壊力が大きくなってしまうことをおそれ、58メガトン以上の威力をもたせないということで話がまとまった。爆発の衝撃波は地球を3周し、地球上の誰もがこの核爆弾の威力を感じた。この実験の後、100か国以上の国が、大気圏、水中、地上でこのような作戦を行なわないよう、協定に署名した。
今日、人類は新世代の核兵器を有している。それらは、より小さく、標的を定め、機動性に富んでいる。そして、かつての原爆がそうであったように、人為的に世界の終末をもたらしてしまう可能性をもっている。