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スプートニクQ&A 「クレムリン・ネクロポリス:ソ連で最も有名な墓地」 【写真】
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... 2017年6月23日, Sputnik 日本
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スプートニクQ&A 「クレムリン・ネクロポリス:ソ連で最も有名な墓地」 【写真】
2017年6月23日, 19:50 (更新: 2022年4月27日, 22:24) スプートニクQ&Aのコーナーでは、読者の皆さまのご質問にお答えします。「モスクワのクレムリンの壁の墓所について教えてください。」という質問が読者のK.M.さんから届きました。ソ連は行列が多いことで有名だった。しかし、ソ連崩壊を経てもなお続く行列がある。それは、赤の広場のレーニン廟の行列だ。クレムリンの壁のそばには、常緑のモミの木陰に、世界の歴史に名を刻んだヨシフ・スターリンなどのソ連の指導者、宇宙飛行士、学者、文化人が眠っている。
「名誉のネクロポリス」の歴史は1917年、クレムリンの壁のそばに2つの巨大な「兄弟の墓」が作られ、革命で命を落とした238人以上の戦士が葬られたことに端を発している。しかし、クレムリンの壁のそばに埋葬するという伝統は、はるか何世紀も前に遡る。歴史学博士のセルゲイ・デヴャトフ氏は言う。「14世紀からピョートル大帝の時代まで、クレムリンにあるアルハンゲルスキー聖堂にはツァーリが埋葬され、ヴォズネセンスキー女子修道院には大公女や大公妃たちが埋葬されてきた。ピョートル大帝は新たにロシア帝国の首都となったサンクトペテルブルクに埋葬された。王族もクレムリンの壁に埋葬されてきたのだが、それはクレムリンの内側だった。つまり、内側には王族が眠り、外側には革命で命を落とした労働者階級が埋葬されているというわけだ。」「兄弟の墓」に埋葬された革命の英雄たちの名前は不明だが、レーニン廟の裏手にある個別の墓標に刻まれた12人の偉人の名前と、まさにクレムリンの壁の中にある「クレムリン納骨堂」に遺骨が納められた115人の名前は、世界的にも有名だ。
クレムリン・ネクロポリスに初めて個別に埋葬されたのは、ソ連初の政府で議長を務め、1919年3月に亡くなったヤコフ・スヴェルドロフである。1924年には建築家のアレクセイ・シュセフが赤い大理石で階段状のレーニン廟を建設し、これがクレムリン・ネクロポリスの中心となった。レーニン廟の裏手にはヨシフ・スターリン、レオニド・ブレジネフ、ユーリー・アンドロポフなど、ソビエト連邦とソ連共産党の指導者の墓がある。クレムリンの壁に埋葬された最後の人物は、1985年3月に亡くなったソ連共産党書記長のコンスタンチン・チェルネンコである。クレムリンの壁の中に骨壺を納めるようになったのは、ネクロポリスの敷地に限りがあることが明白となった1925年のことである。
クレムリン・ネクロポリスには15ヶ国、50人の外国人が葬られている。1933年、日本共産党の設立者の一人、片山潜の遺骨が納骨堂に納められた。
コンスタンチン・チェルネンコの死以降、クレムリン・ネクロポリスでの埋葬は行われていない。ロシア大統領府報道情報局がスプートニクに語ったところでは、1996年に採択された連邦法第8号FZ「埋葬と葬式について」によると、クレムリン・ネクロポリスと呼ばれている敷地は埋葬地ではないという。1990年、レーニン廟と「クレムリンの壁の名誉のネクロポリス」を含め、クレムリンと赤の広場がユネスコの世界文化遺産に登録された。こうして、クレムリン・ネクロポリスでの埋葬とは、偉人の名を永遠に刻むためにソ連時代に用いられたひとつの形式であり、ソ連崩壊後、国家社会体制の変化とともに消失したのだと言える。
2013年、モスクワ州のムィティシ市に4万人を埋葬できる連邦軍事記念墓地が建設され、政権指導部や国家の発展に大きく寄与した人物は、親族の同意があれば、この墓地に埋葬できることになった。法令上は、クレムリン・ネクロポリスと連邦軍時記念墓地の間に直接的なつながりや継承性はないものの、ロシア大統領府報道局は「ふたつの墓地の用途には一定の類似性があると考えられる」と述べている。
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralovaモスクワ地下鉄のオホトヌィ・リャド駅側にある赤の広場への入口
![モスクワ地下鉄のオホトヌィ・リャド駅側にある赤の広場への入口 モスクワ地下鉄のオホトヌィ・リャド駅側にある赤の広場への入口 - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/379/66/3796650_0:0:4032:2534_600x0_80_0_0_6c8fcf8449f785cbb0d914c948107cc2.jpg)
モスクワ地下鉄のオホトヌィ・リャド駅側にある赤の広場への入口
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralova赤の広場でレーニン廟、スパスカヤ塔、聖ワシーリー聖堂をバックに記念撮影をする新郎新婦
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赤の広場でレーニン廟、スパスカヤ塔、聖ワシーリー聖堂をバックに記念撮影をする新郎新婦
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralovaレーニン廟とクレムリン・ネクロポリスへの行列
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![クレムリン・ネクロポリスへ入るためのセキュリティゲート クレムリン・ネクロポリスへ入るためのセキュリティゲート - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/379/68/3796876_0:249:4032:2784_600x0_80_0_0_0ec47538a0f21a30c6b3372af859196f.jpg)
クレムリン・ネクロポリスへ入るためのセキュリティゲート
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© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralova右から左へ:空軍パイロットでソビエト連邦英雄のウラジーミル・セレギン、宇宙飛行士のユーリー・ガガーリン、ソ連軍司令官のニコライ・ヴォロノフ
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右から左へ:空軍パイロットでソビエト連邦英雄のウラジーミル・セレギン、宇宙飛行士のユーリー・ガガーリン、ソ連軍司令官のニコライ・ヴォロノフ
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralovaクレムリンの壁に埋葬された最後の人物、ソ連共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコの墓(1911年11月24日-1985年3月10日)
![クレムリンの壁に埋葬された最後の人物、ソ連共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコの墓(1911年11月24日-1985年3月10日) クレムリンの壁に埋葬された最後の人物、ソ連共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコの墓(1911年11月24日-1985年3月10日) - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/379/71/3797161_0:194:4031:2729_600x0_80_0_0_b44654831a0444e57fe81f65da5ade48.jpg)
クレムリンの壁に埋葬された最後の人物、ソ連共産党書記長コンスタンチン・チェルネンコの墓(1911年11月24日-1985年3月10日)
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralova赤の広場から見たレーニン廟
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![レーニン廟の前の中国人観光客 レーニン廟の前の中国人観光客 - Sputnik 日本](https://cdn1.img.sputniknews.jp/img/379/72/3797275_0:0:4032:2534_600x0_80_0_0_1116ff8a18293adb4b4abcc292b0ce5a.jpg)
© 写真 : Sputnik 日本 / Anna Oralovaレーニン廟へは月曜日と金曜日を除いて、毎日10時~13時に入ることができる。
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レーニン廟へは月曜日と金曜日を除いて、毎日10時~13時に入ることができる。
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