ロシアのスヴィヤシスクという島と町
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/ 日本の「神宿る島」沖ノ島は、その神秘性で多くの人々に知られている。というのも、この非常に謎めいた場所を訪れることのできる人はとても限られており、さらにこの島に滞在できた人も見たものについて話すことが固く禁じられているからだ。今回スプートニクはロシアのスヴィヤシスクという島と町についてお伝えする。ここは沖ノ島よりもアクセスしやすい場所だが、ひょっとしたら知名度では劣っているかもしれない。この島も今回世界遺産に登録された。スヴィヤシスクの歴史における最も興味深い事実をいくつかご紹介することにしよう。
スヴィヤシスクの町は1551年5月24日、有名なロシアのツァーリ、イワン雷帝の時代、カザン攻略のためのロシア軍の前哨として建設された。現在スヴィヤシスクは最も人気の高い観光地の一つとなっている。この島には16世紀から19世紀にかけての歴史的遺産の記念物が18件保存されている。中でも特に価値があるのが、1551年に1日間で建設された木造の聖三位一体(トロイツカヤ)教会、独特なフレスコ画のある生神女就寝(ウスペンスキー)男子修道院の建造物群、預言者ヨハネ女子修道院である。
1551年に1日間で建設された木造の聖三位一体(トロイツカヤ)教会
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/ もし言い伝えを信じるならば、ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンが書いたロシアの民話に登場する有名なブヤン島のモデルの一つになったのが、まさにこのスヴィヤシスク島である。一方、イワン雷帝のカザン攻略のための要塞は――驚くべき歴史的事実であるが――わずか4週間で建設された。実際には、この要塞は別の町で建設されたのち解体され、スヴィヤシスク島に運ばれてきたのだ。スヴィヤシスク島そのものは昔から島だったわけではない。1957年に近郊の複数の村が貯水池を作るために水没させられ、この時初めてスヴィヤシスクは島となった。
スヴィヤシスクには悲しい歴史もある。この島はソ連時代の政治的抑圧の場でもあったのだ。スヴィヤシスクは政治的抑圧を受けた数多くの人々の流刑地となり、ここで何千人もが死亡した。ウスペンスキー修道院の敷地内には精神病院が設置されていた。2000年代初めには、この場所に政治的抑圧の犠牲者の記念碑が建てられた。
政治的抑圧の犠牲者の記念碑
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/ ウスペンスキー修道院そのものは1556年から1560年にかけて建設された。修道院の中にある大聖堂の内部には、フレスコで描かれた一連の壁画が完全な状態で残されており、また16世紀から17世紀にかけて複数の聖像(イコン)が描かれた聖障(イコノスタス)も保存されている。これらのフレスコ画の独自性は、その歴史的意義がロシアにとってだけではなく、東方正教会にとって、そして聖像画の歴史にとっても重要であるという点にもある。
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画
ウスペンスキー修道院のフレスコ画