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エリス・ドローシェ
自ら飛行機を操縦した初の女性。1909年10月、ドローシェは地上を「滑走」させてくれと飛行士のシャルル・ヴォワザンを説得した。だが結果として、飛行機は離陸した。
1910年3月8日、ドローシェは飛行学校を卒業し、大会に出場、飛行ライセンスを受け取った初のフランス人女性となった。
第1次世界大戦勃発後は、フランス軍で働いた。
1919年6月にパイロットに戻り、高度記録と長距離飛行で2つの世界記録を打ち立てた。
リディヤ・ズベレワ
ズベレワは、ロシア軍の将軍の娘で、若い頃から飛行機に憧れていた。1910年、当時20歳だったズベレワは、ガッチナにあったロシアで最初の飛行クラブの一つ「ガマユン」に入った。そして1911年、ズベレワはパイロットの資格を持つロシア帝国初の女性となった。
またズベレワは、宙返りや、アルツェウロフのきりもみ降下など、高度な操縦テクニックが必要とされる一連の最も複雑な曲芸飛行を行った世界初の女性となった。ズベレワとその夫がリガに開いた航空機製造工場は、1917年まで稼働した。
リュボーフィ・ゴランチコワ
当時人気のあった21歳の女優リュボーフィ・ゴランチコワは、飛行クラブ「ガモユン」に通い、飛行ライセンスを取得した。ゴランチコワは、ある航空イベントで、オランダ人の航空機設計技師アントニー・フォッカーと知り合った。フォッカーの会社は数十年後、第2次世界大戦でドイツが積極的に使用した戦闘機「フォッカー」を製造した。
ゴランチコワはフォッカーの招きでドイツにあるフォッカーの工場でテストパイロットとして働き、第1次世界大戦が始まった後はロシアへ戻り、ロシアの工場で製造された飛行機「ファルマン」のテストに取り組んだ。
アメリア・イアハート
イアハートは、女性たちのために航空分野での道の開拓を続けることに成功した女性の1人。1932年、イアハートは自信のレース用飛行機で大西洋を単独横断した世界初の女性、またチャールズ・リンドバーグに続く世界で2番目の人物となった。飛行時間は15時間だった。
同じく1932年には女性として初めて米大陸単独横断無着陸飛行 にも成功した。
1937年、双発機「ロッキード・エレクトラ」でナビゲーターのフレッド・ヌーナンと共に赤道上の世界1周飛行に挑戦中に行方不明となった。2人は消息を絶ってからすぐに死亡したという説もあれば、秘密の軍事基地を偶然見つけ、日本軍の捕虜になったという説もある。